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  つばさ散り操縦桿は折るるとも
         求めて止まじ沖縄の海

拝啓 幸にも出撃前に当り一筆お便り致します。
成増飛行場にてお便りしましたのが、最後にならうかと思つて居りましたが、今お便り出来るのは幸と思つて居ります。

昔を考へますに 父上母上に無理にお願ひして飛行兵となつてより三年有余です。
十錬成飛行場を出てより下館、成増と転進し、ことに成増より山口県防府飛行場に転進の際は明野を左に見、丁度家の上を通過致しました。
その時は幼き頃学びし学校やあの道を見て想ひにふけり乍ら家の上で大きく翼をふり出発の際戴いた花束を落して行きました。
その時丁度三日十五時でした。松坂の工場も大分やられて居りましたね。

防府転進後約一週間、同地にて遊んで居り、十二日都城に転進、十三日出撃の予定でしたが、雨の為に長生きしたやうなわけです。
いろいろと思ひ出もありますが、とり止めもないことです。自分の私物品は防府飛行場にあります故受取に行つて下さい。
三田尻駅にて下車振武寮にあります。中に自分ののみさしの煙草があります故、父上がのんで下さい。

それから中のハンカチは成増飛行場の近くの沢田様より送られたものです。念の為に住所をお知らせ致します。
東京都板橋区土田町沢田光子様です。我々出発の際も見送つていたゞきました。
一度親戚の方にお便りをと思ひますが、時間も許しません故、家よりよろしくお願ひ致します。

いろいろ申しますが、今迄の御恩は敵艦にてお返し致します。では皆様お元気にて。
斎は男子の本懐これに過るはなしと喜び笑つて死んで行きます。では次は靖國にて。

                                            斎

御両親様


陸軍少尉 浜田 斎 命
昭和二十年六月二十二日
沖縄にて特攻出撃戦死
三重県松坂市大口町出身 十九歳