通常表示に戻る

空白・改行を保持して表示します。横にスクロールできます。

玉音放送後に学んだ平和は
無職 清水 源太郎(滋賀県彦根市 79歳)

第2次世界大戦終結の1945年8月15日、私は15歳。
旧制中学3年で、滋賀県彦根市の軍需工場に学徒動員中だった。
昼、玉音放送。
教師から「日本は負けた」と聞き、唖然とした。
「この戦争は聖戦である」「八紘一宇の精神」「鬼畜米英」という昨日までの教育はガラリと変わって、
戦後は同じ学校の教師から「軍部が独走した」「朝鮮、中国への日本の侵略」「戦争は間違いだった」と教えられた。
平和憲法の下、私は民主主義、自由主義、平和主義を学んだ。
あれから60余年。
世界中が平和を追求する中、航空自衛隊トップの空幕長が論文で「我が国が侵略国家だったというのはぬれぎぬ」と書き、
集団的自衛権の行使を禁じる現行憲法に疑問を呈するとは、あきれてものが言えない。
こんな極端な考えが、自衛隊内で横行していないかと恐れる。
思想、言論の自由な社会とはいえ、日本の理性や知性はどこへいったのか。
政府、自衛隊幹部の猛省を求める。

(2008年11月8日 大阪本社版)


極端な考えを持つと、持論と相容れない意見全てが異様に見えるという好例。
内心の自由は何処に行った?

なんだか思春期に価値観がガラリと変化してしまうと、とんでもない矛盾を自己に宿してしまうんですねぇ。

ちょっと冷静になれば分かると思うのですが、その時代の大義名分が<「この戦争は聖戦である」「八紘一宇の精神」「鬼畜米英」という昨日までの教育>から<「軍部が独走した」「朝鮮、中国への日本の侵略」「戦争は間違いだった」>になったに過ぎません。

どうして<昨日までの教育はガラリと変わって>しまったのか疑問に感じなかったのでしょうか。
少しでも賢しい子供であったなら、先生の言うことは聞くふりをして「価値観の押しつけ」を嘲っていますよ。

そんなのだから、<あれから60年>も断つのに、未だ戦後教育に戦前教育と同等の疑問を抱くことなく盲信し、世界が平和を追求しているように感じられるのですね。
平和の尊さを訴える人間ほど、国際社会に驚くほど無知なのはどういう訳なのでしょうか?

また、投稿者が信じている<民主主義、自由主義、平和主義を学んだ>の中には言論の自由も含まれていることでしょう。
それなのに、どうして論文を書いた事での処分を批判せずに、<集団的自衛権の行使を禁じる現行憲法に疑問を呈する>ことが極端な考えとして批判しているのでしょうか。

なんて言うことありません。投稿者が行ってていることは、投稿者が悪と考える戦前の思想統制と全く同じものなんですよね。

戦中の特高警察さんは、個人の独断と偏見による思想犯を物理的な暴力によって排除していました。
現代の文屋さんは、ノイジーマイノリティの抗議による言論の暴力によって相対的右翼を排除しています。

本当に自由主義を重んじるのであれば、今回は自衛隊の対応を批判すべきでした。
シビリアンコントロールだの何なのと言う方もいますが、なんで民間企業に自分の考えを示しただけで政治活動扱いされないといけないのでしょうか。

確かに事前に報告ぐらいはすべきだったかもしれませんが、更迭処分を食らうレベルの失敗だとは思えないのです。
はっきり言えば<こんな極端な考えが、自衛隊内で横行していないかと恐れる>と、政府方針と異なる考えを有するだけで、新聞の紙面で批判されるような社会に戦慄さえ覚えてしまいした。

そして、身内に村山談話を踏襲しない人間がいるだけで<自衛隊幹部の猛省を求める>のですから、完全なファシズムに汚染されていますね。

卒業式ではしゃいでいる教師どもと違って、別に幕僚長は職務を放棄していた訳ではないのですよ。

就業時間中に学習指導要領と正反対の行動を取る教師を処分したら学校側や与党が批判されるのに、プライベートな時間でプライベートな論文をアカデミックな見地で民間企業に応募したにすぎない幕僚長は何故だか本人が批判されるのですね。

いや、本当に<日本の理性や知性はどこへいった>のでしょうか。
根本的に自国を批判していなければ非国民扱いされる国って現代日本ぐらいですよ。