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東日本大震災から5年、大津波により壊滅的な被害を受けた岩手県大槌町。
町には海を見下ろせる高台があり、その庭園には不思議な佇まいをした1台の電話BOXがあります。その名は「風の電話」。
「被災者の心の助けに」との思いから設置され、これまでに1万人以上もの方が、この場所を訪れています。

中にあるのは、回線のつながらない黒電話と1冊のノートだけ
しかし、この何処につながることもない電話をかける為に、この場所を訪れる人の数が途絶えることはありません。
「風の電話」では、お亡くなりになった、あるいは行方不明になっているご家族やご友人と、
もう一度言葉を交わしたいと願う人々が、ここで受話器を握り「会話」をします。
電話機の横には「風の電話は心で話します。静かに目を閉じ耳を澄ましてください。
風の音が、又は浪の音が、あるいは小鳥のさえずりが聞こえたなら、あなたの想いを伝えて下さい」と記されています。

風の電話は、ガーデンデザイナーである佐々木格(いたる)さんの自宅の庭に設置されていて、周囲はたくさんの花に囲まれています。
元々は震災前にいとこを病気で亡くした佐々木さんが、
悲しみに暮れる家族の心の傷を癒そうと、不要になった電話BOXを置いたのですが、その矢先に震災が発生。
甚大な被害と命が奪われ、人々の混乱が一向に収まらない中、
「遺族と亡くなった人の思いをつなぐこと」が何よりも急務と感じた佐々木さんは、
その年の春の訪れを待って、電話BOXの周りの植栽を開始しました。

佐々木さん:
「黒電話の受話器を持ち上げても、当然、何の音も聞こえない。
 聞こえないと思ったら、本当に何も聞こえないんです。
 でも、じっと耳をすませると何かが聞こえてきますよ。
 気丈にしている人でも、実際は心の中で泣いている人が多い。
 心情を吐露することで、少しでも苦しみから楽になってほしい」


「亡くなった家族や友人と、もう一度話をしたい」
「友達というか、仲間というか、まだ見つからない人がいまして。どうしているかなと…」
「私は息子を亡くしてね。何年たっても忘れることができなくて」

さまざまな思いを胸にたくさんの人たちが、今はもう会うことはできない人と会話をする為にこの場所を訪れます。
そして会話を終えたら、備え付けのノートにその思いの丈を綴るのです。


ノートに綴られているのは、風の電話がつないだ大切な人との会話
下記はノートに記載されていた訪問者のメッセージの一部です。


■「会いたくて、会いたくて、声が聞きたくて来てみました。もう痛くないよね、苦しくないよネ」

■「まごちゃんが3人になったよ。かあさんにおふろに入れてもらいたかったよ。いろいろ聞きたいことあるんだ…」

■「(小さな子どもの字で)お母さん、どこにいるの? 早く帰ってきて! 待ってるからね」

■「ようやく別れを告げられた」

■「今、すごい悩んでいるんだ、パパが生きていれば陸前高田にいたのに。なかなか自分のことを吐露することはないんですけど。どこで今後、暮らせばよいかわかりません」

■「平成23年5月13日。あの日から2カ月たったけど、母さんどこにいるの。親孝行できずにごめんね。会いたいよ。絶対、見つけてお家に連れて来るからね」

■「親父さん。貴方の白髪がとにかく懐かしいです。私はこれからの生活に全力を出して貴方の娘を守っていきます」


電話BOXの中で大声で泣く人、一人静かにひっそりと帰る人、
中に入るのをためらい、電話をかけることなくその場所を後にする人、
何度目かの往来の末にようやく受話器を手に取ることができた人…
佐々木さんは、訪れた人たちに無理に話しかけたりはせず、静かに見守ってきたと言います。

また東日本大震災から丸5年を迎える、忘れもしない3月11日の前夜に、
NHKでは「風の電話 ~残された人々の声~」との題でドキュメンタリー番組が放送されていました。
番組内で、特に印象的だった箇所をいくつかご紹介させていただきます。


父親の話にならないよう、周りが気をつかってるのが辛い…
「どうして僕のお父さんだけ死ななきゃいけなかったんだ。周りが父親の話にならないよう気を使ってくるのが辛いんだ…」
自分の周りで唯一、父親を亡くしたという少年の慟哭。テレビ画面の向こう側といえど、直視するのが本当に辛く感じました…


もう一度パパと呼んでほしい
震災で両親と妻、1歳になったばかりの息子をいっぺんに亡くされた男性。
どれほどに願っても叶わないと知りながら「もう一度だけ、パパと呼んでほしい」と、
何度も電話越しに語りかけていました…


おとうさんになんて言えばいいの…
震災で父親を失い、母子家庭となったある家族。
中学生になるお姉さんは、受話器に手をかけるも「おとうさんになんて言えばいいの…」と泣き出してしまいます。
そんな彼女を、まだ幼い小学生の弟さんがフォローする様子には、思わず目頭が熱くなりました。
お姉さんは、お父さんにクサイと言ってしまったこと、
約束だったプレゼントをまだ買ってもらっていないこと、
自分でお金を貯めて買うからもう大丈夫ということ、
本当はお父さんが大好きだったのに末っ子の弟さんの手前、
甘えられずに寂しかったことなどを伝えます。
一度言葉にしたら堰を切ったように、父親に向けての言葉が溢れ出して来たのです…
最後にはお母さんが「壊れそうになったらまた来るかな、じゃあね」と笑顔で声をかけ、
ご家族は「風の電話」を後にしました。
最初こそ強張っていた皆さまの表情が、どこか和らいで見えたのが印象的でした。


喪失の日々で“無色化”された景色は、少しずつその色を取り戻していく…
2011年3月11日から「喪失と再生」を繰り返してきた5年間。
復興は少しずつ前進していても、大切な人を失った悲しみは癒えず、
立ち止まったままの人達がたくさんいます。

打ち明けることも、どう言葉にしていいのかさえもわからない。
そんな例えようのない葛藤を抱える人達にとって、「風の電話」は心の拠り所。
大切な人の“声なき声”が、今日も誰かを支え続けているのです。


海辺に建つ小さな電話BOXは、今日も静かに訪れる人を待っています。