通常表示に戻る
空白・改行を保持して表示します。横にスクロールできます。
虐待(ぎゃくたい)が起きるのは、虐待をする者とされる者との間に、力の差があるからです。その差を自分にとって都合よく利用することが虐待をする者の心理です。
親密な関係における男女の間というのは、一見(いっけん)対等な関係に見えますが、実際には社会的にも個人的な関係においても、男と女の間には歴然とした力の差があります。そのような状況の中で、相手の女性をいじめたり操ったりして、自分の思い通りにしていいんだ、という男性支配(だんせいしはい)の間違った価値観を学んでしまっている男性がいることで起きるのがDVです。
なぜ男性はそのような間違った価値観を学んでいるのか?それは社会が男中心に回っていて、男というだけで女よりも偉いとか、女は男の面倒を見るものだと思っている男たちがたくさんいるからです。
現代では、学校教育などを通じて、男女は同権だ、平等だ、と誰もが習ってきているから、頭では理解できています。ですから、DV加害者もパートナー以外の女性に対しては比較的そういう態度で接していけるのです。ところが、そんな人達でも、話が「親密な関係」になると別物になってしまいます。そこでは建前上の平等が通用せず、相手を自分の思い通りに動かしていいのだ、という価値観で行動してしまうのです。加害者男性が「彼女には爆発させてもいいんだ」という間違った価値観を持っていることから暴力をふるうということです。
DV法ができる前までは、DVのことを単なる夫婦喧嘩(ふうふけんか)と見る風潮がありました。道端(みちばた)で見知らぬ人を一発でも殴(なぐ)れば傷害罪で即(そく)逮捕(たいほ)となるのに、夫が妻に対して長年(ながねん)にわたり暴力をふるってきても何も罰(ばつ)を受けないというのは、どう考えてもおかしいことです。それは、夫に殴られた妻の人権が軽んじられているといか言いようがありません。
「好き・嫌い」という気持ちの部分と、「相手には暴力をふるうという問題がある」という事実を、しっかりと区別して考えることが大切です。暴力を暴力として認めることです。男性が浴びせてくる侮辱(ぶじょく)や、付(つ)け込(こ)んでくる態度に目をつぶったままではいけません。こうした行為は心理的な暴力なのだと認め、自分は不当な行為を強(し)いられているのだと実感することが解決への重要な第一歩です。「自分が暴力に耐(た)えることが相手を愛している証拠だ」のように思ってしまうのは、男らしさ、女らしさについての間違った価値観を知らず知らずのうちに自分も刷(す)り込まれているからです。
男性は「男らしさ」の呪縛(じゅばく)を受けています。「男はこうあるべき」という原理原則にこだわるあまり、自分自身を重荷に感じてしまい、自分たちより弱い者を押しつぶす以外に、自らの弱さを隠(かく)す術(すべ)を知らない男性たちもいます。また、男女平等の社会への変化に怯(おび)えている男性たちもいます。女性の自立は男性たちにとって、ある意味で自分たち男性の権利の剥奪(はくだつ)、権力の失効(しっこう)と受け取られ、さらには人間的な価値観の喪失(そうしつ)、自信喪失にまでつながってしまうのです。