387 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/25(日) 17:38:58 ID:XdPrgROk
永禄四年、信濃平定が一段落した武田信玄、いよいよ本腰を入れて上野攻略に取り掛かろうとしていた。
まず碓氷峠を越え、八幡平と呼ばれる地に陣城を築き、松井田城と安中城の連絡を
分断する。
信玄の侵攻が始まった矢先に長野業正を病気で喪った西上野衆だが、それでも善戦
を続け、松井田、安中の両城が陥ちたのは永禄七年になってからだという。
時は流れて昭和六年。
八幡平の小学生が偶然、ある物を発見する。
それは大量のしゃれこうべ。
古代の古墳に穴を掘り、実に150人分もの頭蓋骨を埋めてあったのだ。
身体の骨は一つもなく、下顎の骨も発見されていない。槍傷のある骨も多く、身体
的特徴からも、中世日本人……戦国時代に戦で亡くなった人々の骨だと思われる。
発見された場所から見ても、信玄の上野侵攻により戦死した武田軍or上野軍、も
しくは双方の犠牲者の遺骨だろう。
だが、取った首級をまとめて埋めたというなら、何故下顎の骨がないのか。
明らかに骨になった後、頭蓋骨のみをまとめて埋めた痕跡である。
別の場所に埋葬された骨の内、頭蓋骨のみを掘り出して、ココに埋め直したのだろ
うか?
……何故? 謎だらけである。
一説には埋められた頭蓋骨はすべてが甲府の方を向いていたともいう。
しゃれこうべが甲府に向けていたのは信玄への恨みの眼差しなのか、望郷の念であ
ったのか……
現在、そこには首塚が建てられている。
写真を撮ると、高確率で「ナニか」が写ると言われている、近隣では有名な心霊ス
ポットであるという。
393 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/25(日) 21:28:41 ID:Um0KgaUn
>>387150ものドクロが400年にわたって甲州をじっと見つめてたことを想像すると、
なんともぞくぞくするな
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胸熱なのかgkbrなのか