544 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/19(火) 15:04:33 ID:01mmRi2V
コピペ1591年3月:使節が帰ってきた。副使の金誠一が日本は攻めてこないと報告したので、
サル野郎秀吉の降伏勧告を見なかったことにすると決定。
閏3月:日本から玄蘇らが来て金誠一に「日本に従えば朝鮮は助かる。ダメなら元寇の恨みを果たす」と脅迫。誠一は戯言として無視。
5月:正使の派閥が「もう一度倭の内情を探らせましょう」と提案するも「今更蒸し返すな」と却下。
7月:湖嶺城市を修築。「倭は海戦には強いが陸なら勝てるのでもっぱら陸で戦いましょう」と決定。
城下町の拡大が優先された結果、防御能力は落ちてしまった。
8月:明の軍人が来て、「何で日本の通告を知らせなかったのだ」と詰問される。
在日明人スパイの琉球国経由の通報で知ったらしい。
聞くところによれば、朝鮮が日本に寝返ってわざと情報を隠したと疑っているらしい。胃が痛い。
10月:明国皇帝に秀吉の動静が誣告であると報告しに行く。
しかし24日、日本から玄蘇らが来て「明に行くから道を貸せ」と言ってきた。
11月:明国より正式に対日開戦準備の勅諭が降った。
軍事を再編し李舜臣を抜擢。金誠一はへそを曲げて仕事をしなくなった。
この国の政治家はいつから派閥争いばかりして政治を語らなくなったのだろう。悲しいことだ。
12月:李廷?と?進を抜擢。金誠一の日本行きに従い、日本が本気だと知り、
訓練を怠っていたことを後悔している。
1592年3月:対馬で大量の兵の練兵が行われているという報告。金誠一はまだ「日本は攻めてこない」と言っている。
4月上旬:とうとう日本が大挙して攻めてきた。敗戦の報が相次ぐ
4月中旬:会議を開くも、大臣たちは泣くばかりで声が出ない
4月下旬:ソウルが危険になってきた。疎開を決定。
5月上旬:小西行長がソウル入城。王が「民は倭についたと聞いている」と絶望気味。
5月中旬:明国軍が動き出したが、あまりに早い日本の進軍に、我が国が裏切って日本の先導役をしていると疑っているようだ。
コメント一覧
というか属領だったにも関わらず
本国に連絡一つ入れないとか
現代のダメな部下の典型例だ。
李廷?とか?進みたいな表記が好きになれない
どっちにタテついても(=逆側に与しても)、国土は焼け野原ッスからねぇ…
二枚舌と舌先三寸のプロでもなきゃ、ここは土管に徹するところ。
選挙カーに向かって「うるせー」って言ったら
「ご声援ありがとうございマース」って言われた気分だ
どうっする?
かゆうまかと‥‥‥
全然違うから安心して
米5→米6
ソウルは、ずーっとソウルと呼ばれてきた。
首都機能が東京に移った現在でも、京都がずーっと「都」と呼ばれてるようなもん。
同じコピペに3書き込みしない慎みを持ったほうがいいな。
この時代はよその国もそうだけど、
軍隊の7割が病気や飢えで損耗することは
珍しくない。
日本の損耗率はむしろ低い方。
やり返されたのはしょうがないわ。
問題は今でも朝鮮出兵を恨む人がいることだ。お前らが先にやったんだろ。