334 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/22(土) 04:45:58 ID:in1GdwYp
立花宗茂の晩年の話島原の乱の後の事だが、柳河藩に宗茂が目をかけていた安東助四郎
という若者がいた。助四郎は病弱だったが、聡明で好学心が高かった
ため、宗茂は江戸に呼んで、勉学に励ませていた。しかし、それを
心好く思わない者達がいて、助四郎に色々と言って来ることがあり、
それを苦にした助四郎は、病気と称して柳河に帰ってしまった。
そのことを知った宗茂は、実情を調べた上で助四郎に手紙を送った。
「病はいかがか。容態はどうかと心配している。だがこちらで聞いた
ところ、帰国した理由はそればかりではあるまい。お前の勉学は私と
忠茂が認めたもので、我らはお前のことを少しも疑ってはいない。
お前に何かと申した者達はこちらで吟味する。どうか、やる気を取り
戻してほしい。お前が確かな人物であることは見届けている。」
これを受けた助四郎は発奮し、以前以上に勉学に励んだという。
後に、助四郎は省庵と名乗り、関西の巨儒と謳われる大儒学者と
なったそうな。
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後に、省庵と名乗り、関西の巨儒と謳われる大儒学者と
なったそうな。
だけ読んだ
「いじめはどうにかしてやるから頑張れ」ってことで頑張れました
普通なら、目をかけてやったのに、帰ってしまって、恩を仇で返された、って思ってしまいそうなものなのに
ちゃんと調べて手紙書いて送るって……