179 :本当にあった怖い名無し :2006/11/08(水) 02:15:07 ID:AZT/zpgx0
阪神大震災当時中2だったなぁ。
ドーーッという急流のような音で目が覚めた瞬間に、どーーーーん!!という音が聞こえてから揺れた。
本棚が自分めがけて倒れてきて、こち亀が降ってきた。
で、下敷きになって気付いたら血まみれになった親父が助けてくれた。
親父は自衛官だったから、家族の無事を確認して応急手当をすると、すぐに出て行った。
その後何日かは、家の中にあった食べ物とかを食べてたけど、
とうとう非常用の食べ物も切れてしまったので、
5キロくらい歩いて自衛隊が食料と水を配っている学校のグランドに行った。
親父はそこで救援にあたっていた。
そのときショックだったのは、俺と妹が親父のところに行くと、
「お前らは一番後だからな。分かってくれよ」と言われたこと。
子供ながら、心の中で『身内だからなぁ・・・』とぼんやり考えていた。
親父は悲しそうな顔でいなくなった。
妹はショックだったのか泣き出ししてしまった。
近くには、背中に大きな無線機を背負った、まだ若そうな自衛官いた。
一部始終を見ていたらしくて、妹の前でしゃがんで
「お父さんお仕事まだあるから、あっちでご飯食べよう。温かいご飯美味しいよ。元気出るよ」と、
優しく笑顔で妹の頭をなでてくれたのを覚えている。
それから3日くらいして、父のとこに行ってみると父は頭に巻いた包帯から血をにじませながら働いていた。
ご飯を運んだり、仮説のテントを張ったり、時にはどつかれたりもしていた。
親父が仕事をしているところを初めて見て、ちょっと恥ずかしいような誇らしいような気がした。
家ではいつも腹を出して寝ている臭い親父がそのときはすごく大きくて立派に見えた。
自衛隊の隊員が、プールの陰とか体育館の裏でコソコソ缶詰のご飯食べているのが印象的だった。
コメント一覧
自衛官がちやほやされるのはこういう災害で困窮した時か、他国の侵略で危機に陥ったりした時だけなんだ。
彼らへの風当たりが強い時、そして自衛官の出番がなくて訓練が全て無駄になっている時、国民は真に幸せなんだ
余計に肩身が狭かっただろうなぁ
基本炊き出しの材料はその市が負担するのよ、
んで新潟といったら魚沼産コシヒカリ。
なんとも旨そうな銀シャリを何百人前も炊きながら俺らはコンバット糧食のうるち米食ってたなぁ。
ちなみに特別手当ては1日800円だった。
野外炊具という屋外で煮炊きができる装備を持ち込んで
温かい食事を被災者に提供していた自衛隊にクレームをつけた奴がいた。
名前は覚えてないが とにかく 行政にかかわる人間。そいつが言うには、
「弁当やパンのようなものしか手にできない被災者もいるのに
自衛隊が派遣されている所では温かい物が食べられるのは不公平だから、
自衛隊は食事の援助をするのをやめろ」と。
そんな理屈で言うのなら、
「救助されて助かる人と救助が間に合わず死ぬ人が居るのは不公平だから
救助活動は辞めて 皆 平等に死んでもらいましょう」ってことになる。
ってことになるわけで、
結局は 自衛隊が気に入らないだけという意図がミエミエだった。
テメエの政治思想は勝手だが被災者をダシにすんじゃねぇよ。
安心しろ。そんなカスは中越の時も3.11の時もいた。
周囲の反応が最大の栄養だから無視しとけ。その内うち消える。
311のときガソスタ店員だったけど
建設会社系列の所だったからか何日か救助車両のみ給油してほしいと要請来てて、一般には事情しゃべってお断りしたんだけど
「人殺し」だの「鬼」だの何回も言われた
あとは、「俺は昔あんたの所(建設会社)助けてやったんだけどなぁ~」とか「昔居た所長の向かいの家と親戚だ。だから入れさせろ」とかもうキチガイだらけでタンクローリーで潰してやろうかと何度思ったか。
平穏な翔子イズ誰?
今でも議員さんなんだよなぁ
自衛隊は人材と機材しか提供出来ない。
自衛隊の物資は民間人へ供給出来ない決まりがある。
辻元の事言ってるなら
それデマだよ
当方小千谷市民です、あの時は本当に助かりました。
温かいご飯や御風呂、何度お礼をお伝えしても足りないくらい感謝してます。
ありがとう!!
おそらく赤日か在日新聞こと変態のことと思われる
準備万端整っていても、県知事からの要請がないと派遣できないんだよなぁ…