1:名無しさん@おーぷん2018/03/03(土)17:18:44ID:vCc
彡(゚)(゚)「まずプルトニウムの周りを炭化タングステンで囲みます」
彡(゚)(゚)「あっ」ポロッ
1945年8月21日 デーモンコア臨界事故
アメリカのロスアラモス国立研究所で原爆開発に従事していたハリー・ダリアンが、
中性子反射材である炭化タングステンでプルトニウムの球体を囲み徐々に臨界に近づける実験中、
誤って炭化タングステンのブロックを球体の上に落下させて急速に臨界状態を発生させてしまった。
ダリアンは推定5.1シーベルトの放射線を浴び、25日後に死亡した。
6:名無しさん@おーぷん2018/03/03(土)17:20:35ID:vCc
(´・ω・`)「もうやめた方がいいよこんな危ない実験」
彡(゚)(゚)「ワイがやらんかったら誰がやるねん、大丈夫何回もやってるしヘーキヘーキ」
彡(゚)(゚)「あっ」ガツン
彡(゚)(゚)「熱っ!酸っぱ!まぶしっ!」
(´・ω・`)「これって…」
彡(゚)(゚)「危ない!皆逃げろォ!」バシッ
1946年5月21日 デーモンコア臨界事故(9ヵ月ぶり2度目)
同じロスアラモス国立研究所のルイス・スローティンは、プルトニウム球の周りにベリリウム半球を重ね、
間をマイナスドライバーで支えてグラグラさせることで臨界に近づけるというこれまた危険な実験を行っていた。
リチャード・ファインマンをして「ドラゴンの尾を踏む」
と形容するほど危なっかしい実験を他のメンバーはやりたがらず、
エンリコ・フェルミは既に40回以上この実験を行っているスローティンの身を案じ「年内に死ぬぞ」と警告していた。
しかし功名心の強いスローティンはなおも実験を繰り返し、ついに半球を接触させる事故を起こしてしまった。
このコピペは省略されています。
このコピペは
182行、
4218バイトです。
続きを見る