974 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/03(木) 11:58:01.67 ID:Bo6ZIhoN
江戸時代、幕府では6月16日に行われる「嘉祥」という行事があった。これは将軍から大名旗本に対し、お菓子を下賜するという行事で、幕府では毎年この日、2万個を超える
各種お菓子を用意したのだという。この行事は、日本の和菓子の発展に多大な影響を与えたとも言われる。
この「嘉祥」、三方ヶ原の「敗戦」を忘れぬよう記念したものとも、あるいは菓子を献上されて戦に大勝したことを
記念したものだとも、由来は色々言われているが、ともかく始まりは、家康が家臣に手ずから菓子を与えるという
ものであった。
しかし徳川家の規模が大きくなるにつけその数は増えていく。天下を取った後は先に書いたように2万個を超えるわけで、
とてもではないが全部手渡しというわけには行かず、そのうちに将軍が手ずから与えるのは最初の何人かだけで、
あとは出仕した大名旗本が自分で取っていく、という形になっていった。
が、そんな中、すべての菓子を自分の手で与えていた将軍が一人あった。徳川秀忠である。
彼は元来の生真面目な性格ゆえか、この行事もきっちりと、最初から最後まで菓子を手渡ししていたそうだ。
そのためこれが終わると、彼は数日間肩や腕に痛みに悩まされた、と記録されている。
ちなみにこの幕府の行事であった「嘉祥」の6月16日は現在、全国和菓子協会により「和菓子の日」とされ、
今も記念されている。
そんな「嘉祥」の、徳川秀忠のエピソード。
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