1548 名前:2ちゃんねるのどこか 投稿日:2009/09/18(金) 15:39:36
遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。「あそこでみんな死んでいったんだ・・・」
沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。
老人は村の若者達と共にその作業に参加した。日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。
やがて戦況は日本に不利となり、いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。
仲間達と話し合った彼は代表数人と共に日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。
それを聞くなり隊長は激高し叫んだという
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
日本人は仲間だと思っていたのに…みせかけだったのか裏切られた想いで、みな悔し涙を流した…
船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。
しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。その瞬間、彼は悟ったという。
あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと・・・。
「この島を訪れる、もろもろの国の旅人たちよ。あなたが日本の国を通過することあらば伝えてほしい。
此の島を死んで守った日本軍守備隊の勇気と祖国を憶う、その心根を。」
ちなみにパラオに存在するこの神社は、天照大神と戦死者一万余名の「護国の英霊」を御祭神とする神社である。
パラオ共和国大統領トミー・E・レメンゲサウ・ジュニアは、
敗戦から復興し様々な分野において世界を牽引する力になっている今日の日本を称え、また、
戦時中のパラオ統治に今でも感謝し、パラオは世界で最も親日感情が高い国と言った。
そして当時を知るパラオの長老たちは今でも日本をこう呼ぶという。
「内地」
コメント一覧
「無いチチ」
内地だけに!
だれかちゃんと調べたのか?
俺は検索ボタン押すのめんどいから嫌だけど。
嫁さんは友人たちの肉便器だったんですね、分かります。
死ね
また自分のコメントのイイボタン押し続けているのか。飽きないねぇ。