332 名前:名無しさん@恐縮です 投稿日:04/03/21 09:11 ID:897rYpq+
ザ・ドリフターズ(ドリフターズ)1964年結成。ハードコア・ダブ・ユニットの先駆けとして60年代後半のアンダーグラウンドシーンを席巻。
1967年、方向性の違いからリーダーIkariaとギタリストYasushiOnoが対立。
Yasushiは当初メンバーだったG-Yoshidaらを引き抜き「ドンキーカルテット」を結成。
Ikariaは残ったChar(Dr.)、他バンドに在籍中のCo-G(G.)、Chu-Arai(Key.)、Boo(G.)らを誘い「ドリフターズ」としてユニットを再編。
69年にはビートルズの前座を務めるなど華々しい躍進を遂げ、72年のアルバム「Gather 8:00」、翌年の「Zoom-Doco Songs」でその地位を不動のものとした。
その一方で、以前からフロア志向を公言し、シカゴハウス・ムーブメントに強い関心を寄せていたChuがユニットから離れ、代替メンバーとしてDJ.Kenが起用される。
77年にはブリット・プログレッシブを強く意識した問題作「Die Back Show」を発表、以後レイブを中心に活動。
84年の東京レイブは、停電による暗闇の中での五時間に及ぶアンプラグド・インスト演奏で伝説のアクトとなった。
1985年、Ikariaは「全てをやり尽くした」と言い残しユニットの活動を一時停止。
以降は散発的にユニットとしての活動を続けながら、それぞれのソロ活動が目立つようになる。
DJ.KenとCharは「Cut&Ken」を結成、日本におけるノイズシーンを牽引。
ハワイアン・フォーク・サウンドに強く傾倒していたBooはCo-Gと共にアンプラグド作品を幾つか発表した。
リーダーIkariaは俳優業に転じ銀幕の舞台で活躍。
ハリウッド進出も果たし今後の活躍を期待されていたが、2004年に癌により死去。
ジャパニーズ・アンダーグラウンドの帝王と呼ばれた巨匠の死とともに、ドリフターズの40年の歴史にピリオドが打たれた。
コメント一覧
その実はお笑い相当なのかもしれないな
まあドリフは金字塔だが
このコピペみたいな経歴がフライヤーにかかれてて吹いたなw
面白いコピペだ。
すごいよね!ドラムだもんね!棒のほうじゃないもんね!
志村へ
この手紙をもって俺のコメディアンとしての最後の仕事とする。
まず、俺の芸能人生を解明するために、DVDを買うようお願いしたい。以下に、コントについての愚見を述べる。
コントを考える際、第一選択はあくまで「笑いを取れば勝ち」という考えは今も変わらない。
しかしながら、現実には若手芸人の多くがそうであるように、他人をバカにして笑いを取ったり、
素人にツッコミを入れるだけで内輪受けに走っている事例がしばしば見受けられる。
その場合には、企画段階から綿密な計算と準備が必要となるが、残念ながら未だ満足のいくコントには至っていない。
これからのコントの復活は、綿密な企画立案、それとライブの復活にかかっている。
俺は、志村がその一翼を担える数少ない芸人であると信じている。
能力を持った者には、それを正しく行使する責務がある。
志村にはコントの発展に挑んでもらいたい。
遠くない未来に、素人いじりや他人をこき下ろすコメディがこの世からなくなることを信じている。
ひいては、俺のネタを研究した後、計算された笑いの一石として役立てて欲しい。
リーダーは活ける師なり。
なお、最後に、 お笑い芸人でありながら、多数の人を泣かせて旅立ったことを、心より恥じる。
いかりや長介
そこは ほんとにほんとにほんとにほんとにご苦労さん、で
「ダメだこりゃっ!」
って言ったのかな?
ちなみにその時DJケンが客席からドリフターズを見ていたと言われるが残念ながら違う
ビートルズは5回公演を行ったがケンが見たのはドリフターズが前座を務めた回ではない
Mr.Suwazonoの演技も光っていたな。
僕もあの停電のステージはテレビで観ていた。