2220 名前:2ちゃんねるのどこか 投稿日:2010/01/08(金) 22:27:30
102 1/2 2009/02/15(日) 06:21:47.94 ID:tryxefmnO
1941年6月22日、ナチスドイツはソ連に侵攻し、8月にはレニングラードが包囲された。ドイツ軍の空爆や地上よりの砲撃に苛まれ、寒さと飢えに苦しめられつつ900日の間市民は侵入者を拒み、ついにソ連軍の巻き返しで包囲は破られた。
しかし、この抵抗には広島原爆の20倍もの犠牲が払われた。
1941年当時、レニングラード市の人口は250万あまり。
包囲が解かれた1943末には人口は60万に減っていた。
少なく見積もっても、80万もの市民が餓死したことになる。
詩人のルクニツキーの証言では、1942年から1943年にかけては、毎日6千から1万の市民が餓死凍死していったという。死体は袋小路、空き地、地下室を埋め尽くした。
死体回収のトラックはガソリンの欠乏で動かない。そこで、人力で引きずって共同墓地に運ぶ。
前線から戻った工兵がダイナマイトで凍った地面を砕き、埋葬用の塹壕に似た穴を掘る。
墓地に向かう道の両側には、塀のように凍った死体が積み上げられ、車がすれ違うことも出来ない。
当然、食糧を求めての窃盗、殺人が横行する。殺して配給証を奪い取る。
しかしやがて食糧そのものが無くなり、配給証は無用の長物。やがて、墓掘り人夫がおかしな事に気が付いた。
体の一部分が欠けている死体が頻繁に見つかると言うのだ。特に腿、尻、腕、肩の肉が無い。
墓地の前ではバラバラ死体すら発見されている。何者かが死体を切り取り、肉を喰らっているのは明らかだった。
やがて、生きた人間までもが殺されて喰われた。凍った死体は解体の前に解凍する必要がある。生きた人を殺して、即座に解体すれば手間がかからない。
特に女と兵士が襲われた。女は脂肪が多く、柔らかいから。兵士は、一般人よりも栄養状態が多いから。
人肉市場は俗に「干し草市場」と呼ばれていた。ここでは紙幣は価値はない。通貨は金貨と銀貨、それよりもパンとウオッカ。
売り主は盗人、密売人、前科者。人々は一番大切な物をパンや怪しげなソーセージ、パテと交換した。
103 2/2 2009/02/15(日) 06:26:04.70 ID:tryxefmnO
街には牛も馬も羊も居らず、犬や猫も居ない。そのパテやソーセージは犬や猫の肉だと市民は思った。いや、思うようにした。1942年1月19日、物不足に悩むディミトリとタマラは、大切に保存しておいたパン600グラムを携えて「干し草市場」に向かった。
毛皮のブーツを買うためである。
そこで二人は大男に出会った。身なりもよく、栄養状態も良いようだ。
彼は女物のブーツを持っていたので、商談を持ちかける。値切った結果商談は成立。
ブーツがもう一足、数100メートル離れた男の家にあるという。ディミトリは行くことにしたが、タマラはそこで待っていた。
男に付いていったディミトリは妙な胸騒ぎがした。食人鬼の近づき方の噂を聞いていたからだ。
男は「ちょっと待ってろ」と言い、ドアに向かって「生きたのを連れてきた」と囁いた。
ドアが開いた。中からなま暖かくきつい臭いが漏れだした。
蝋燭の光が揺らめき、その炎に照らされて白い肉塊がいくつか、男の脚、女の血管の浮いた腕が照らし出された。
ディミトリは必死になって階段を駆け下りる。男が後を追う。運良く軍用トラックが外を通りかかった。
「助けてくれ、人食いだ!」
ディミトリはトラックにすがりついた。
トラックは停車、兵士が建物に乗り込む。銃声。
15分後、戻ってきた兵士が「5人分の肉塊を発見した」と発表した。
レニングラードの食人は、極悪非道の殺人鬼のみの仕業ではない。
「アパートの壁の裏で何が行われていたかは神のみが知る」
と住民は証言する。
この証人は、妻を食べた男、我が子を喰った親もいると断言する。
同じアパートの住民が妻を殺し、首を鍋で煮たという。この類の証言は際限がない。
コメント一覧
煮ても焼いても肉が固くなる。
茹でればまだましだけどアクがすごい。
人肉を喰らうなんてそんなおぞましいこと、言っちゃあいけないよ。
戦争中だ、何より死んでしまうよりは食べるを選択するのも有りなんでは
人種や国は違いますが
心よりご冥福をお祈り致します
戦争その他で食料が無くなってくると、
身分の低いものから殺され、売られていくそうな。
つ■おいしんぼ
明日もう一度この小屋に来てください
こんな元がなんだかわからないような肉塊よりずっとうまい靭帯をご覧に入れますよ」
ザクロ自体食べたことないけど
味じゃなくて見た目と食感らしいよ
俺はそう思わないけど
ロシア幼女食べたい
アントニー・ビーヴァーの著書にこういう記述があったよ。
もっともレニングラードでも同じことがあったのかもしれないけど。