コピペ運動会

うちの親父はどちらかと言えば寡黙な方で、激務な仕事をしていて
休日は主に寝ていたこともあって、息子である俺たちとは子供の頃も
そんなに多くは語り合わなかったし、親父の笑顔を見る機会もそんなに多くはなかった
しかしそんな親父が珍しく満面の笑みを浮かべている写真が1枚あって
意外性もあってか、その写真は俺の心に強く印象づいている

その写真は兄貴が産まれて間もなく、親父が赤ん坊の兄貴を風呂に入れている写真で
小さかった当時のうちの家の、小さい風呂場で、ひときわ大きなタライを使って
親父が兄貴の体を洗っているところを写したものだ
何でそんな狭い家に巨大なタライがあったのか、以前に母親に聞いたところ、
初めての息子である兄貴が産まれたことを親父が非常に喜んで
子供の入浴に使うタライを買うのに、喜びのあまり必要以上に大きなタライを買ってしまったということだ
俺や弟が赤ん坊の頃の写真ではそのタライは使われていなく、いかにも赤ん坊用の
ミニサイズのバスタブみたいのが使われているので、おそらくは母親が邪魔がって
その巨大なタライは何処かへ行ってしまったようだった

ある日、俺が小学生の頃、弟と二人で連れ立って、少し薄暗くなりだした春の夕闇の中、
当時はじめて飼いだした犬の散歩をしていた時、うちの近くで、
近所の主婦の人だかりが出来ているのに気付いた
近づくと、人だかりの中心では何かが勢い良く燃えていて、それは以前から放置されていた
路上駐車のバイクであった、誰かが放火したのか、自然と燃えだしたのか、
子供が見ても明らかに危険な程にバイクは燃え盛り、近所の植え込みにも燃え移りそうな勢いであった
しかし主婦達はどうして良いか分からない様子で、ただ周りを囲んで慌てふためいていた
今であれば消防を呼ぶなり、自分たちで消火器などで消火を試みるなり、するのだが
俺たちも子供であった上、突然のことであったので、主婦の周りで同じように立ち尽くすしか無かった
言わば、俺たちはただ呆然とバイクを見つめ、火が燃え広がるのを待っているような状態だった
飼い始めたばかりの犬が、異常を察知して、燃え盛るバイクに向かって異様な程に吠えていた

その時だった、自分の目の前にヌッと人影が現れ、俺の前を横切ったかと思うと、
一瞬にしてバイクは鎮火、その人影はまた俺の前を通って、急ぎ足で俺の家に入って行った
今のは何だ、俺と弟が顔を見合わせていると、その人影はまた家から出てきて、
バイクに向かって走ってきた、それは休日で昏睡していたはずの親父だった
親父は、あのタライ、兄貴が赤ん坊の頃に使った、ひときわ大きなタライを持って、
それに溢れそうな程の水をくんで、バイクの火を消火するべく走ってきたのだった
親父が2回目の水を掛けたとき、バイクの火は完全に消火されたようで
ウワーッと一斉に主婦の間で歓声が起こった
しかし親父はそのような喝采を気に留めるでもなく、念のため3回目の水をくんで
バイクに掛けると、着々と後始末を始めたのだった
一体、狭い家の中でその大きなタライをどこに仕舞っていたのか、親父に聞こうとしたが
犬の散歩の残りを終えて帰ると、すでに親父は床に就いて熟睡しており、
タライも何処かに仕舞われていて見つからなかった
何処にタライを仕舞っていたのか、その後も聞こうと思えば聞くことはできたが
それは親父の偉大さが隠し持つ不思議な現象の一つとして、今でもあえて聞かないでいる

うちの母親は専業主婦であったが、副業で近所のマンションの管理人をしていたことがあって
よくマンションの住人で困りごとがあった場合などは、住人が家に訪ねてくることがあった
ある日、俺が小学生の頃、深夜の2時過ぎくらいだろうか、何やら外で
酔っぱらいが騒いでいるようで、母ちゃんが起きだして、俺と兄貴も目が覚めた
覗き窓から見てみると、酔っぱらいは、母ちゃんが管理をしていたマンションに住んでいる
パンチパーマのヤクザだった、ヤクザは
「山下！てめえ、幾らもらってんだ！馬鹿野郎！」などと喚き散らして、
うちに文句を言っているのだった
母ちゃんがドア越しに叫んでいる内容を聞いてみると、どうやらヤクザは自分で鍵を無くしたらしく
家に入れないので、合鍵をよこせと叫んでいるのだった

いくら管理人相手であっても自分の不注意から鍵をなくしたのに、
管理時間外である深夜に叫んでいるのでは非常識極まるが、
こちらとしても一応、仕事である以上、杓子定規に時間外だからと応対しない訳にもいかない
しかし相手はヤクザであるので、親父が応対することとなった
親父は寝間着であるステテコ姿の上に適当に何か羽織ると、鍵を持って家を出て、
ヤクザと一緒にマンションへ向かって行った

出て行ってしばらくは何かヤクザが文句を言って怒鳴り散らしている声が聞こえたものの
しばらくすると、外は深夜の静けさを取り戻し、親父の声も、ヤクザの声も聞こえなくなった
通常なら部屋まで行って鍵を開けたとしても、往復10分程度の時間があれば
戻って来れる距離であるが、20分経っても、30分経っても、親父は戻ってこなかった
さすがに、これはやばいのではないか、ヤクザに捕まったのではないか、と
不安がった我々は、兄貴が剣道用の竹刀、俺が雨傘を持って、親父を助けに行く準備をはじめた

すると突然、インターホンが鳴ったので、ヤクザがうちまで攻めてきたかと、我々兄弟は身構えた
すぐに「ワシ」との声で親父だと気付いてドアの鍵を開けたが、
母は心配で、大丈夫だった？何かされなかった？と親父に尋ねた
しかし親父は首を振って、そのまま何事もなかったかのように床に就いた

それから何週間かしたある日、我々兄弟が2階の部屋でゲームをして遊んでいると
誰か来訪者があったようで、玄関のインターホンが鳴り、母ちゃんが応対に出た
別に宅配便か何かだと我々は最初、気にも留めていなかったが、しばらくすると、
一階から母ちゃんの泣き声のようなものが聞こえてきたので、我々は異常を察知し、玄関に駆けつけた
玄関には頭を丸めた中年の男が立っていて、こいつが母ちゃんを虐めたのかと
我々は睨みつけたが、どうやら実際はそうではないらしく、
男は何か母ちゃんに手みやげのような物を渡し、何度も何度も、深々と頭を下げていた
その男は、先日、我々に迷惑をかけた、あのパンチパーマのヤクザであった
親父とどんな話をしたのか、ヤクザは結果的に足を洗い、パンチパーマの頭を丸め、
手みやげを持って、うちに謝罪にきたのであった
母ちゃんはそのことで感極まって、言わば感動して泣いていたのであった

往復の時間を除くと30分弱の間、親父とヤクザの間でどんな話があったのか
子供の頃にも謎であったが、大人の今になって考えても、全く想像がつかない

俺が小学生の頃、家族で初めての海外旅行としてハワイに行った
ハワイには勿論、奇麗なビーチがあり、海に泳げる区域もあるのだが、
俺たちが泊まったホテルはそれなりに豪華なホテルで、大きなプールも付いていた
俺たちは遊び盛りの子供であったこともあり、ビーチで遊んだ後は、
プールでも遊ぼうと言うことで、ビーチで散々、遊んだ後、ホテルのプールにも泳ぎに行った
折角の旅行で親父と遊べる数少ない機会だと考えていた俺たちは
親父も水着に着替えてプールで一緒に遊ぼうと誘ったが、
無精の親父はビーチでの遊びで疲れたと言って、ホテルの部屋で休みだした

結局、俺たち兄弟3人と母親がプールに行って、遊び始めた訳だが、
しばらくして兄貴が俺に、プールの中ほどに浮いているブイまで泳いでみようと
俺に提案した、しかし俺としては不安だったのは、当時、小学生の俺は
そんなに大した距離は泳げず、10メートルごとに足をついて息継ぎしていたので
もしそのブイのところの水深が深ければ、足が付かずに溺れてしまう危険があったからだ
俺たちが遊んでいたプールの入口のところでは水深は呼吸できるぎりぎりの深さであったが
どうやらこのプールは奥に行けば行く程、水深が深くなる作りであるように思われたので
俺の不安は現実的なものであった
しかし、もしそういう場合でも、あのブイまで泳げば、ブイに掴まって呼吸ができるからと
兄貴に諭された俺は、結局、兄貴と2人でブイまで泳いで行った

何とかブイまで泳いで、予定通りブイに掴まった俺が呼吸をしようとすると
ブイはすぐに俺の重みで沈んでしまって、呼吸ができなかった
慌てた俺は近くを泳いでいた兄貴に助けを求めるが、当時は兄貴も小学生であり、俺を支えることができず
何とか助けようとはしてくれたものの、力が足りず、結局、振りほどかれてしまって、
俺は完全にプールの中央で溺れてしまった

その時、溺れている俺に気付いた弟はすぐに母親に知らせたが、母親は泳ぐことができないので
俺を助けることができない、母親はどうにか助けられる人はいないかと、
外人しかいないプールサイドを走り回って叫ぶが、
そもそもプールサイドにいた他の客は数人であり、英語も話せずに話が通じない
俺は苦しさでもがき、暴れながら大量の水を飲んで、もはや意識を失う寸前にあった

その時、ぎゅっと俺を抱きしめる強い力があって、暴れ続ける俺を止めた
そして、その力は高々と俺を持ち上げて、俺を呼吸ができる状態にした
しばらくパニックで何が何だか分からなかった俺が落ち着きを取り戻し、下を見ると、
俺の下にはスーパーマンがいて、俺を抱え上げていた
比喩ではなく、本当にアメコミのスーパーマンの格好をした男が、俺を力強く抱え上げていたのだ
それは、まぎれもなく、俺の親父だった
スーパーマンの全身水着を着た、うちの親父だったのだ

ホテルに隣接する売店で、スーパーマンの水着を見つけた親父は
これを着て息子達を驚かせようと、こっそりとそれを購入し
面倒くさがってプールに行かない振りをして息子達を先に行かせた後、その水着に着替えていたのだった
それでいざ息子達を驚かせようとプールに入ってきたところで、息子が溺れていることに気付き
慌ててプールに飛び込んだのだった
あれから20年近い月日が流れたが、あの時と変わらず
当時も今も、親父は俺のスーパーマンだ

以前に弟と少し混み合っている電車に乗った時に、ある話をして、
それは、音楽CDのジャケットで何が一番かっこいいか、という話題だった
弟と俺は音楽の趣味が違うので、俺が挙げたジャケットも弟が挙げたものも互いに知らなかったが
共通のファンであるブルーハーツに至っては、2人とも知っているので
やがてブルーハーツのCDのジャケットで何が一番かっこいいか、という話になった
それでお互いに意見が合ったのは、「千のバイオリン」のCDシングルのジャケットがかっこいいと言うことで
それはブルーハーツのメンバーが立てこもり犯が投降するような感じで両手を上げている写真のものだ
いやあ、確かにあれはカッコいいな、と2人で納得していたとき、
ふと見ると、隣の車両で長身の男性が、後ろ向きで両手を上げて立っているのが見えた
車内は結構な混み具合であったので、よくは見えなかったものの
一つ頭出ている長身の男性が手を上げているのは少し異様であり
なんであの人、両手をあげているのか、と2人して疑問に思った
そして、確か「千のバイオリン」のブルーハーツも、ああいう感じで
手を上げていたのではなかったかと話をした

それから何駅か過ぎて、電車が目的の自宅近くの駅に到着
我々が下りると、その隣の車両から、例の両手を上げた長身の男も下りているのが見えた
そしてすぐに我々は、それが職場帰りの、うちの親父であったことに気付いた
先ほどは混み合っていて後ろ姿で気付かなかったが
下りてよく見ればさすがに実の父親であるので気付かないはずもない
さっそく親父に近づいて、先ほどの疑問であった、何で両手をあげていたのか、
と声をかけようとして、すぐにその質問を飲み込んだ
それが痴漢冤罪を防止する為の親父の行動であると知っていたからだ
冤罪をかけられて自分が職場をクビになったのでは、妻や子供達を路頭に迷わせかねない
だからそうしているんだと母親づてに聞いた時には、そうなのかと感心したが
実際にその光景を見るまでは、その行動の重みには気付いていなかったのかも知れない

俺と弟は、ただ「おつかれさま」とだけ親父に声をかけると、
親父の有り難さを噛み締めながら、親子一緒に家路についた