722 名前:名無しさん@お腹いっぱい。2010/02/27(土) 04:44:40 ID:1F8kceH90
僕の実家は阪神淡路大震災の直撃を受けた。
後に聞いた話で、
家の崩壊まで10分ほど時間があったそうなのだが、
その間父は 逃げ延び、祖母は自室で絶命し、
母親は生き埋めになった。
僕と妹は運良く上京しており、
被災から3日目には掘り起こしを手伝っていた。
泥まみれの母親を初めに発見したのは僕だった。
その時足は骨折していたが、身動きが取れない中、
ボロ雑巾のようなものを握り締めて放さないでいた。
僕が小学校の時に描いた、
お絵かきコンクールで銀賞を取った絵だった。
自分では 記憶にすら残っていなかったその絵が、
母親にとっては自分の息子を誇る最も大切な宝物だったらしい。
危機に直面した土壇場で、身の安全やお金よりも、
息子の絵の事を考えたんだそうだ。
大学に殆ど顔も出さず退学寸前だった俺は、
その日から勉強に励み、5年掛けて大学を卒業した。
当時は後ろめたかったけど、今では胸張って叱ってあげられる。
「今度地震があったら、自分の命を一番に考えろよ」って。
母さん、長生きして下さい
コメント一覧
当時の読売新聞には、瓦礫の山の前で、
焼け出されて呆然と佇む安田大サーカスの団長の写真が掲載されていた。
以降、毎年その場所で仲間達と同窓会を開いている。
たしかにお前は空気読めないわ
母親は息子のほうを可愛がる傾向が強い!
だから!俺が貰ってやんよ!!
思い上がりも甚だしい
※10なんで?
寂しいんだろ?
涙拭けよ
その場所は、団長に「芸人になれよ」と言ってくれた
友人が埋もれていた場所。ABCお笑いグランプリで
審査員特別賞を獲った時、お祝い会をすっ飛ばして
真っ先に受賞盾を見せに来たそうだ。