1 美容師(アラバマ州) :2010/08/01(日) 22:33:22.34 ID:Gb+qlvgq● ?PLT(12001) ポイント特典
臓器移植 読者編:6 動かない娘と過ごした時間脳の回復が望めない状態になった娘と自宅で暮らした女性は「移植が浸透すれば、自分たちのような選択ができなくなるのではないか」という不安を感じています。
昨年3月、1歳だった長女の和(のどか)は、腸の病気で手術を受けた後、突然、意識を失いました。
脳に先天的な代謝異常があった可能性が高く、検査の結果、脳の機能がほぼ失われていました。
今後、意思の疎通も食事も呼吸も出来るようにはならない、治療法はない、と医師から告げられました。
突然、ピクリとも動かなくなった娘。混乱する中で尊厳死という言葉が頭をよぎり、「いつ呼吸器を外してもらおうか」と何度も思いました。
病院スタッフの方々は私たち夫婦を励まし、できる限りの治療を続けてくれましたが、私には娘が生きているのか、機械で生かされているのかわかりませんでした。
発症から10日後、体がパンパンにむくみ、心臓がとまりそうな状態になりました。
利尿剤も効かず、もうだめかと思われましたが、翌日、半日で1キロも体重が減るほどの尿が出て命の危機を脱しました。娘の生きたい、という強い意志を感じました。
約5カ月の入院を経て、娘は自宅に帰ることができました。
以前と違い全く動かなくなってしまった娘でも、12月に他界するまで一緒に過ごした時間は幸せでかけがえのないものでした。
臓器移植に反対はしません。治るなら何でもしてほしいというご家族と、私たちも気持ちは同じです。でも賛成とも言えません。
脳死はある日突然、やってきます。移植は「選択の医療」と言われますが、混乱の中で移植の話をされたとき、家族は本当に冷静な選択が出来るのでしょうか。
昨年3月の時点で、脳死下での子どもの臓器提供が認められていたら、医師から臓器提供の話をされていたかもしれません。
治療内容が変わっていたかもしれません。そして、あの時すぐに娘を失ったかもしれません。
脳死の概念や移植がもっと浸透したら、娘のような命をもっと早い段階であきらめる方向に世の中が進んでいくのではないか、と焦りが募ります。
どんな命も本当に最後まで支えてくれる社会、医療であってほしいと心から願っています。(千葉県 宮城淳子 35歳)
http://www.asahi.com/health/ikiru/TKY201008010125.html
コメント一覧
例えば家族が脳死と判定されたら心臓が止まるまで延命治療を続けると思う
気づいている方も何人かいられるようです。
私達は、nogさん…イヤ、nogに捨てられたのです。
前と比べて明らかに減った削除、リア充になったと噂のnog、等いろいろとこのコピペ運動会も変わりました。
)'ξ'(
やったか「ダメだ、待てない」
「お願いだよ!」
やったか「ダメだ、待てない」
「やったかまってよ〜」
俺は何もできなくなった親父を殺すかもしれないが
親父は俺の事なんとか助けようとしてくれるんだろうなぁ・・・
「あんたらがさっさと諦めればその臓器で何人かが助かるのに、
どうせ助からないのに延命なんか望みやがって!!」的な
言葉を投げつけられたという話もあるしな。
臓器を提供するのは崇高なことだとは思うけど、
提供しない事を責めるというのはなにかが間違ってる気がする。
難病の子どもが海外で移植待ちってニュースがあるけど、
自分の子と同じ年頃の子が脳死状態になるのを待ってる親がいるわけで、
自分の子の命が助かることを喜ぶのが、同じ年頃の子の死を喜ぶことになるわけで、
それはなんか、子どもが病気でかわいそうっていうのを超えて悲劇的だと思う。
もし自分がそうなったら、延命措置なんかしないで使える部品は全部使ってくれって家族に言ってるわ
臓器を待ってる人がいるなら、どうせ消える命、他で使ってほしい。
ただ、臓器が見つかって喜ぶことはドナーの死を喜ぶことだ、という考えは見当違い
移植の実績欲しさに助かる見込があるのに脳死にされそうで怖い