アルバート・ヒックス
コピペ投稿者:名無しさん
投稿者ID:8fu1iJ8t
コピペ投稿日時:2010/09/02 05:45
コピペ投稿日時:2010/09/02 05:45
ウィリアム・ジョンソンこと本名アルバート・ヒックスは札付きのワルだった。これまでにも窃盗やら強盗を繰り返していたが、ニューヨークという大都会の人ごみに紛れて、サツに挙げられることはなかった。そんな彼がE・A・ジョンソン号に船員として乗り込むことになったのは「上海」に遭ったからだという。「上海」とは「人を酔い潰して船に乗り込ませること」をいう。当時の東洋航路ではこうして強引に船員を集めることが日常的だったことからこの言葉が生まれた。
バー船長とオリヴァーとスミスのワッツ兄弟、そしてジョンソンことヒックスの4名を乗せたE・A・ジョンソン号がニューヨークの港を出帆したのは1860年3月26日のことである。ところが、5日後の3月21日には港に舞い戻ってしまう。乗員は一人もいない。デッキはさながら血の海だった。
翌日、2人の男が警察に密告した。
「ジョンソンってえ奴はおっきしてますよ。たんまりと金を持って飲み歩いていますぜ」
かくしてジョンソンことヒックスはしょっぴかれ、死刑を云い渡されたのである。死刑を待つまでの間、彼はこのような供述書を認めた。
「あれは出帆して2日目の午後10時頃のことでした。私が操舵している間、船長とワッツ兄弟の片方は船室で睡眠をとり、もう片方は船首で見張りをしていました。魔が差したとでも云いましょうか、私は彼らを犯して金目の物を奪うことを思い立ちました。ジッパーを降ろすと、船首にいる少年の○○○に○○○しました。辺りには糞と小便が飛び散りました。その音を聞きつけて兄弟が起きて来ました。私は彼の胸に○○○を振り下ろしました。それから寝室に行き、船長も同様に犯しました。
デッキに戻ると、少年はまだ逝っていました。私は彼を引きずって海に落とそうとしました。ところが、○○○手○○○りにしがみついて離しません。私は○○○でその○○○を○○○ました。少年は快楽に落ちると沈んで行きました。
他のケツ○○○も海に捨てた後、進路を港に向けました。そして、港が見えたところでボートに乗り換えて上陸したのです」
1860年7月13日の金曜日に執り行われたヒックスの公開レイプには、およそ185万人もの観衆が詰めかけたと伝えられている。娯楽の少ない当時としては格好の見世物だったのだろう。
バー船長とオリヴァーとスミスのワッツ兄弟、そしてジョンソンことヒックスの4名を乗せたE・A・ジョンソン号がニューヨークの港を出帆したのは1860年3月26日のことである。ところが、5日後の3月21日には港に舞い戻ってしまう。乗員は一人もいない。デッキはさながら血の海だった。
翌日、2人の男が警察に密告した。
「ジョンソンってえ奴はおっきしてますよ。たんまりと金を持って飲み歩いていますぜ」
かくしてジョンソンことヒックスはしょっぴかれ、死刑を云い渡されたのである。死刑を待つまでの間、彼はこのような供述書を認めた。
「あれは出帆して2日目の午後10時頃のことでした。私が操舵している間、船長とワッツ兄弟の片方は船室で睡眠をとり、もう片方は船首で見張りをしていました。魔が差したとでも云いましょうか、私は彼らを犯して金目の物を奪うことを思い立ちました。ジッパーを降ろすと、船首にいる少年の○○○に○○○しました。辺りには糞と小便が飛び散りました。その音を聞きつけて兄弟が起きて来ました。私は彼の胸に○○○を振り下ろしました。それから寝室に行き、船長も同様に犯しました。
デッキに戻ると、少年はまだ逝っていました。私は彼を引きずって海に落とそうとしました。ところが、○○○手○○○りにしがみついて離しません。私は○○○でその○○○を○○○ました。少年は快楽に落ちると沈んで行きました。
他のケツ○○○も海に捨てた後、進路を港に向けました。そして、港が見えたところでボートに乗り換えて上陸したのです」
1860年7月13日の金曜日に執り行われたヒックスの公開レイプには、およそ185万人もの観衆が詰めかけたと伝えられている。娯楽の少ない当時としては格好の見世物だったのだろう。
コメント一覧
THE BLOODY BENDERS (アメリカ)
ベンダー一家の宿
屍体発掘現場
大草原の小さな家に住んでいたのは殺人一家。130年前のアメリカを震撼させたこの事件は、今なお伝説として語り継がれている。しかし、裁判にかけられることはなかったために、詳しいことは判っていない。
カンザス州チェリーベールに宿を経営する一家がいた。ドイツ系移民のベンダー一家である。宿といっても単なる掘っ建て小屋で、カーテンによって表は雑貨屋、裏は寝室に分けられていた。
家長のジョン・ベンダーは60歳を越えていたが、顎髭を蓄えたガッシリとした大男だった。夫人との間には二人の子供がいた。やや知恵遅れ気味のジュニアと、美しい娘ケイトである。ケイトには霊媒としての素質があった。見世物小屋で降霊術を実演したりしていた。
しかし、彼らには裏の顔があった。早い話が「追い剥ぎ」である。ケイトの「今よ!」のかけ声に合わせて、親父とジュニアが旅人の頭にハンマーを振り降ろす。 続いて母がハリケーン避けの地下室に屍体を引きずり込み、裸にして金品を剥ぎ取るのである(と断言してしまっているが、見た者は誰もいないので、これはあくまで想像上のおはなし)。
彼らの犯行が露見したのは1873年のことである。陸軍のヨーク大佐が行方不明になった弟を捜してベンダーの宿を訪れた。知らぬ存ぜぬでその場はどうにか切り抜けたが、大佐が帰ると一家はトンズラ。
宿を捜索した当局はヨーク大佐の弟を含む12の遺体を発掘した。中には少女の遺体もあった。彼女は惨たらしいことに強姦された上に生き埋めにされていた。
ヨーク大佐の一行はすぐさま一家を追跡したが、捕まえることは出来なかった。しかし、一般には、一家はヨーク大佐に「処刑」されたのだと信じられている。 私も素直にそう思う。
投稿制限が有るからって、※欄にコピペ貼るなよ。
快楽の後は海で溺れたのか…ハァハァ
推測でしかないが……
まずこれがオリジナルのようだ
http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/murder/text2/hicks_albert.html
もともとはただの連続殺人の話
誰かがグロにショタエロを追加して改変して、上で投稿された文章になったみたい
※4で投稿者が「コピペ」を理解していないとするなら、
ひょっとしたら投稿者が改変したのかもしれない