大津波で妻と息子を失った市職員 「負けないで」と被災者に呼びかけ
コピペ投稿者:名無しさん
投稿者ID:9/dfPRJW
コピペ投稿日時:2011/03/18 23:55
コピペ投稿日時:2011/03/18 23:55
「苦しいけど 負けないで! 名取市職員 S」
東日本大震災で大津波が押し寄せた宮城県名取市の市役所玄関ガラスに
こんなメッセージが書かれた紙が張り付けてある。
書いたのは名取市職員、西城卓哉さん(30)。
津波で最愛の妻、由里子さん(28)が行方不明になり、8カ月の長男、
直人くんを失った。
自分と同じくかけがえのない家族を失った人たちは多い。
それでも精いっぱい生きてほしい。そんな思いを込めたという。
3月11日、激しい揺れを感じた西城さんはすぐに、職場から由里子さ
んの携帯電話を鳴らした。一瞬つながったが声を聴けず、途切れた。
すぐに市役所は地震で大混乱、職員としてさまざまな対応に追われ、気
が付くと12日未明になっていた。
ようやく自宅マンションへ戻ると、エレベーターは止まり、泥に足をと
られた。部屋に入ると、2人の姿はなかった。近くの由美子さんの実家へ向かった。
毛布、食料、紙おむつ…。
寒さと飢えをしのげるよう、紙袋に目一杯詰め込んで、必死に歩いた。
「あとは、2人を見つけるだけ」
しかし、周辺に原形をとどめる家はほどんどなく、がれきの山だ。
「ひょっとしたら、がれきの下敷きになっているかも知れない…」
由美子さんの実家を目指しながら、一晩中捜した。
しかし、実家も建物はなくなっていた。
13日夜、由里子さんの母親とようやく出会えた。
自衛隊のヘリコプターに救出されたのだという。
憔悴しきった義母は「2人とも流された。どこにも姿がないの…」という。
絶望的な気持ちになったが、わずかな望みを信じ捜索を続けた。
しかし、直人くんとみられる遺体が安置所にあると聞き、15日夜、身元を確認した。
「肌着も服もよだれかけも、妻が好んで着せる組み合わせだった」
安置所で死亡届を出すと居合わせた同僚職員が泣き崩れた。
職場の後輩だった由里子さんと出会ったのは3年前。
『誠実で信頼できる人』と一目で直感し、6月14日の由里子さんの誕生日に
プロポーズした。昨年7月には直人くんが生まれた。幸せだった。
デジタルカメラには、3人で迎えた最初のクリスマスの写真が保存してある。
今年2月に撮影した1枚は3人で写った最後の写真。
眺めていると、さまざまな思い出があふれてくる。
それでも西城さんはメッセージを書いて、市役所玄関ガラスに貼り付けた。
『最愛の妻と生まれたばかりの一人息子を大津波で失いました。
いつまでも二人にとって誇れる夫、父親であり続けられるよう精一杯生きます。
被災されたみなさん。
苦しいけど
負けないで!
名取市職員 S』
地震発生からちょうど1週間の18日午後2時46分、西城さんの職場でも黙祷を告げるサイレンが鳴り響いた。
東日本大震災で大津波が押し寄せた宮城県名取市の市役所玄関ガラスに
こんなメッセージが書かれた紙が張り付けてある。
書いたのは名取市職員、西城卓哉さん(30)。
津波で最愛の妻、由里子さん(28)が行方不明になり、8カ月の長男、
直人くんを失った。
自分と同じくかけがえのない家族を失った人たちは多い。
それでも精いっぱい生きてほしい。そんな思いを込めたという。
3月11日、激しい揺れを感じた西城さんはすぐに、職場から由里子さ
んの携帯電話を鳴らした。一瞬つながったが声を聴けず、途切れた。
すぐに市役所は地震で大混乱、職員としてさまざまな対応に追われ、気
が付くと12日未明になっていた。
ようやく自宅マンションへ戻ると、エレベーターは止まり、泥に足をと
られた。部屋に入ると、2人の姿はなかった。近くの由美子さんの実家へ向かった。
毛布、食料、紙おむつ…。
寒さと飢えをしのげるよう、紙袋に目一杯詰め込んで、必死に歩いた。
「あとは、2人を見つけるだけ」
しかし、周辺に原形をとどめる家はほどんどなく、がれきの山だ。
「ひょっとしたら、がれきの下敷きになっているかも知れない…」
由美子さんの実家を目指しながら、一晩中捜した。
しかし、実家も建物はなくなっていた。
13日夜、由里子さんの母親とようやく出会えた。
自衛隊のヘリコプターに救出されたのだという。
憔悴しきった義母は「2人とも流された。どこにも姿がないの…」という。
絶望的な気持ちになったが、わずかな望みを信じ捜索を続けた。
しかし、直人くんとみられる遺体が安置所にあると聞き、15日夜、身元を確認した。
「肌着も服もよだれかけも、妻が好んで着せる組み合わせだった」
安置所で死亡届を出すと居合わせた同僚職員が泣き崩れた。
職場の後輩だった由里子さんと出会ったのは3年前。
『誠実で信頼できる人』と一目で直感し、6月14日の由里子さんの誕生日に
プロポーズした。昨年7月には直人くんが生まれた。幸せだった。
デジタルカメラには、3人で迎えた最初のクリスマスの写真が保存してある。
今年2月に撮影した1枚は3人で写った最後の写真。
眺めていると、さまざまな思い出があふれてくる。
それでも西城さんはメッセージを書いて、市役所玄関ガラスに貼り付けた。
『最愛の妻と生まれたばかりの一人息子を大津波で失いました。
いつまでも二人にとって誇れる夫、父親であり続けられるよう精一杯生きます。
被災されたみなさん。
苦しいけど
負けないで!
名取市職員 S』
地震発生からちょうど1週間の18日午後2時46分、西城さんの職場でも黙祷を告げるサイレンが鳴り響いた。
コメント一覧
でも、前を見なくては
明日からも、皆さんの分まで生きますから…。
まずは今生きてる人達が、きちんと生活出来る環境を整える事が先決
物資や労働力の提供はもちろん、各々が自分に出来る事をするだけで救える命があるはず
キレイ事でもなんでも、イロイロと難癖つけて何にもやらないヤツにはなりたくないからとりあえず今日県庁に靴やら服やら持っていったけど、まだ出来ることあるはずだから頑張ってみるわ
'/ /‾| \
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| (‾人‾) |
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13回泣いた(´;ω;)
いつまでたっても公式の発表が信じられない。
もう勘弁してくれよ。地震に津波でもうたくさんなのに放射能が不安で夜も眠れない。
いつまでたっても公式の発表が信じられない。
もう勘弁してくれよ。地震に津波でもうたくさんなのに放射能が不安で夜も眠れない。
俺もこんな強い人になりたい。
ご冥福をお祈りします。
どんなに愛していても愛されていても
この世に生を受けたものにはいつか必ず永遠の別れがやってくる
当たり前のこととはいえあまりにも無情すぎる・・・辛すぎるよ。
でもこの人強いよ。立派だよ。
それ自体が悪いワケじゃないよ
大事なのは、こうして普段通りの生活ができる事がどんなにありがたいかに気付く事
それと被災者の人達がこんな普通の生活すら送る事ができないのがどんなに辛いのかを理解する事だね
考えてよ、死ぬ前に未来の子供達に借金背負わせた人間の屑どもを
地獄に送ってほしい、家族含めて一人でも多く殺してください