コピペ投稿者:名無しさん
投稿者ID:dFwHqtzd
コピペ投稿日時:2011/08/10 10:08
コピペ投稿日時:2011/08/10 10:08
27 :水先案名無い人:2011/08/09(火) 22:41:11.84 ID:F2JVaYZq0
「1+1を2にしか出来ない奴はいらない。1+1を3にも4にもする能力が欲しい」 という文系ワードについての考察。
1)字義上の意味において
i)数論的解釈
自然数のうちもっとも小さいものを1、次の数字を2とし、
記号+についてa+bを「自然数aよりbだけ多い数」と定義した場合において、
一致を示す記号=を用いて1+1=2と書けるが、
1の次の数字を示す記号が「2」では無い場合は成り立たない。
例えば、2進数上では、2は存在せず、1+1=10である。
ii)記号論的解釈
+記号が(A)数を表す場合(B)別の記号を表す場合 も成り立つとはいえない。
例えば、古代中国の表記方法に従えば、+は6を意味し得るので、左辺は161となり、=2とはならない。
また、+記号が=と同様の意味を持つと仮定すれば、1+1=(1=1)≠2となり成立しない。
2)人文的意味において
i)概念として
「2」という数字の持つ意味は、現実的には根拠に乏しく、
水滴は分裂していくつにも別れ、水たまりに着水し同時に一つになる。
そのためこれらは「水」として同一の物体ともみなせ、
1=2=…、すなわち1+1=2+2=…がこの場合は成立し得る。
ii)問題性について
「答」とは何であるかを考えると、
それは疑いのない真理であるデカルト的立場や、経験によって正当化された心理であるというベーコン的立場、
あるいは真理とは認識の作る観念の産物であるというカント的な立場など、
一般的な意味での「答」の定義は存在しない。
よって1+1の「答」は、その真理性に対する姿勢に対して異なり、
2であるための「答」とは独立に存在する。
以上より、「1+1」の「答」は必ずしも「2」にはならない。 (了)
コメント一覧
よくわかった
│ 10倍だぞ │
└∩───∩┘
ヽ(`・ω・)ノ
糞ベーコンども
2にしてくれるなら御の字。
とそれだけのこと
部下「じゃあ1+3=4ですね?」
っていう部下が欲しい。
フランシス・ベーコン
という名の哲学者の立場
阪神タイガースのロゴになる
まぁ、だから何だって
言われたら困っちゃうけど
円
本当だ!
1+1=2(言われたことしかできないのか!?使えない!!
1+1=3(俺はそこまでやって良いって言ったか?勝手に判断するな
従っていた方がラク
部下「今日はカレーにしましょう」
上司に与えられた「1」「2」「3」について情報のみから新たな「4」という概念を生み出せる奴は世界中探しても殆どおらんぞ。もうアインシュタインレベルだ。
まあ※9が言ってるのは「機転が利いて応用ができる奴」って意味だろうが、それでもなかなか居ないだろうな。
そう、それが言いたかった。
1+1、1+2を教えてやっても、1+100までいちいち聞いてくるかと思えば、何も聞かずに1+3=2って勝手にやっちゃったり。
部下の育成って難しいね。
これはゆとり世代、非ゆとり世代関係無しに共通して言えるよな。非ゆとり世代もなんでゆとり世代より応用利くかって言うと、結局学生時代にどれだけ「詰め込んだか」なんだよ。
例として挙げるなら、数学の入試問題は学校の教科書の内容組み合わせてるだけなのに、その入試問題の解き方を一度学んでないと大抵の人は全く解けない。つまり応用を利かせるというのはそれだけ難しいんだ。これはいつの時代もそうで、非ゆとりは経験量が少し多く「応用の仕方」を知ってるだけ。本当に自分の力だけで「応用」できるのは歴史上の偉人並。
だから※20は部下に基礎から応用の仕方までしっかり教えてやれよ!
というか何故こんなマジレス運動会しちゃったんだろう…。
全然面白くないけど