もともとソニーというところは、ちょっとしゃれたデザインをつけた家電メーカーでなにしろ独自企画の押売が特長だったところだ。
パーソナル・コンピュータの黎明期、ソニーが業界に参戦するのにふさわしいのはMacintoshみたいなマシンであった。
しかし、残念ながらMacintoshはアメリカのAppleという会社が出してしまった。
せめてOSのライセンスがあれば、独自企画としゃれたデザインで成功してみせると、思ったのだが、ついにApple社はMac OSのライセンスを公開しなかった。
しかたなく、ソニーは十把一絡げみたいな、ソニーにとっては屈辱のWindowsグループに入らざるを得なかった。
ソニーのジレンマが始まった。
どんなにしゃれたデザインを持つ筐体を作っても、中身がWindowsでは金の器に糞塊をいれたようなものだったからだ。
のどから手が出るほどにMac OSがほしかったにちがいない。
いっそ、お得意の独自企画でOSもつくればよかったのに、そこまでノウハウがなかったのだろう。
年々Macは素晴らしい進歩をとげていく。
Windowsは10年以上も遅れながら、Macの猿まねをすることでついていった。
そして1995年、1986年にMacが実現したGUI環境のまねが完成してWindows95(95年に完成したから95か?窓を複数開くから「Windows」と同じか?この会社がバカに見えるのはこうしたネーミングの安易さにある)を大々的に発売した。
Macを知ってる人は10年前のMacにようやくおいついた、それも猿まねを使って。と軽蔑したが、
Macをしらない多くの、コンピュータとは呪文を打ち込むことで動くものだと信じさせられた人々はびっくりし、ますますWindowsに傾倒していった。
技術やデザインの優劣と反比例するようにWindowsのシェアは伸びていった。
Macは苦しい時期を迎え、会社身売りの噂さえのぼり、経営陣の異動もあった。
そんなAppleの混乱期にソニーが待ちに待っていたそしてMacOSライセンスの供与もはじめたのだ。
ところがその時点では、もはや市場はどんどん商売上手の猿まねOSであるWindowに浸食されていたのだ。
そこで、ソニーはパイオニアのように手をあげなかった。
その後、ライセンス供与をふたたびクローズしたとき、ソニーはほっと胸をなでおろしたのではないだろうか。
以降、ソニーは今までのねたみ、そねみから、Appleに敵愾心をもったらしく、次々と出す製品のことごとく、Mac対応をせず、あるいはかなりおくらせるなどして、Macユーザーをないがしろにしてきた。
せこい復讐だといわねばならない。中国を笑えない児戯行為だ。
OSについては日本のメーカーすべてWindowsなのだからしかたないと諦めて、いいかげんにアップルへの恨み妬み嫉みはやめて、
アップル向けあるいはMacユーザに向けた製品開発をしていった方が、ソニーらしさはそこなわれないし、品位も保てると思うのだが。
95で猿まねして、IEでNSの猿まねしてXPでMac OS Xの猿まねして、今度はロングホーンでタイガーの猿まねを続ける偉大なる猿まね商んど、マイクロソフト向けの製品は少なくするほど、カッコイイと思う。
さて、表題の「なぜWindowsはMacを超えられないか」だが、それは私見によれば、思想のあるなしのちがいではないかと思う。
Appleは初めに哲学がある。
The rest of us 。
それはApple社のロゴマークにも表されている。
最初にリンゴをかじった天才たちのことはおいといて、残された部分すなわちわれわれコンピュータの素人のためのマシンを作ろう。という哲学。
Windowsには哲学がない。
Macのまねをしたら画面にウィンドウがいくつも開くから、それだけで感激しちゃってWindows(窓の複数形)。
よほど感激したと見えて、ご丁寧にロゴマークまで複数の「窓」。笑っちゃうようなバカでしょ。
しかし、ビル・ゲイツの方が役者が上という見方もある。
すなわち、超えられないのではなく、意識的に超えないという見方だ。
商売としては猿まねの方が成功しやすい。
まして先行するのは市場の少ないAppleであってみれば。
日本では松下がソニーにそうしたように、自らはどっしりと後方に構え、優れものを先行させてその需要の動向をみてから大物は腰をあげればよいのだ。
そして、すぐに先行者の獲物(市場)を横取りし、さらに十分に残った市場を食い尽くすのみだ。
どちらが頭がいいのか。というより、どちらが商売人か?
ビル・ゲイツのすぐれた商んど技術、ネスケや一太郎やMac OSから顧客をかじりとっていった
「とりこんで更に加える」のやり方はなるほど、技術上より優れたものを生みだすことができるかもしれない。
しかし、最初に哲学がないから、ここでも常に思想がない。単なる機械や技術のグレードアップ。
Macはウインドウをつけてもそれに自身の名前やロゴを語らせるほどこだわらなかった。
なぜなら、Macにとってウインドウは、いくつ開いてどんなに便利だろうが、やりたいことをする(目的)のための手段でしかないからだ。
Windowsとはもともと見ているものが違うのだ。
パーソナル・コンピュータの黎明期、ソニーが業界に参戦するのにふさわしいのはMacintoshみたいなマシンであった。
しかし、残念ながらMacintoshはアメリカのAppleという会社が出してしまった。
せめてOSのライセンスがあれば、独自企画としゃれたデザインで成功してみせると、思ったのだが、ついにApple社はMac OSのライセンスを公開しなかった。
しかたなく、ソニーは十把一絡げみたいな、ソニーにとっては屈辱のWindowsグループに入らざるを得なかった。
ソニーのジレンマが始まった。
どんなにしゃれたデザインを持つ筐体を作っても、中身がWindowsでは金の器に糞塊をいれたようなものだったからだ。
のどから手が出るほどにMac OSがほしかったにちがいない。
いっそ、お得意の独自企画でOSもつくればよかったのに、そこまでノウハウがなかったのだろう。
年々Macは素晴らしい進歩をとげていく。
Windowsは10年以上も遅れながら、Macの猿まねをすることでついていった。
そして1995年、1986年にMacが実現したGUI環境のまねが完成してWindows95(95年に完成したから95か?窓を複数開くから「Windows」と同じか?この会社がバカに見えるのはこうしたネーミングの安易さにある)を大々的に発売した。
Macを知ってる人は10年前のMacにようやくおいついた、それも猿まねを使って。と軽蔑したが、
Macをしらない多くの、コンピュータとは呪文を打ち込むことで動くものだと信じさせられた人々はびっくりし、ますますWindowsに傾倒していった。
技術やデザインの優劣と反比例するようにWindowsのシェアは伸びていった。
Macは苦しい時期を迎え、会社身売りの噂さえのぼり、経営陣の異動もあった。
そんなAppleの混乱期にソニーが待ちに待っていたそしてMacOSライセンスの供与もはじめたのだ。
ところがその時点では、もはや市場はどんどん商売上手の猿まねOSであるWindowに浸食されていたのだ。
そこで、ソニーはパイオニアのように手をあげなかった。
その後、ライセンス供与をふたたびクローズしたとき、ソニーはほっと胸をなでおろしたのではないだろうか。
以降、ソニーは今までのねたみ、そねみから、Appleに敵愾心をもったらしく、次々と出す製品のことごとく、Mac対応をせず、あるいはかなりおくらせるなどして、Macユーザーをないがしろにしてきた。
せこい復讐だといわねばならない。中国を笑えない児戯行為だ。
OSについては日本のメーカーすべてWindowsなのだからしかたないと諦めて、いいかげんにアップルへの恨み妬み嫉みはやめて、
アップル向けあるいはMacユーザに向けた製品開発をしていった方が、ソニーらしさはそこなわれないし、品位も保てると思うのだが。
95で猿まねして、IEでNSの猿まねしてXPでMac OS Xの猿まねして、今度はロングホーンでタイガーの猿まねを続ける偉大なる猿まね商んど、マイクロソフト向けの製品は少なくするほど、カッコイイと思う。
さて、表題の「なぜWindowsはMacを超えられないか」だが、それは私見によれば、思想のあるなしのちがいではないかと思う。
Appleは初めに哲学がある。
The rest of us 。
それはApple社のロゴマークにも表されている。
最初にリンゴをかじった天才たちのことはおいといて、残された部分すなわちわれわれコンピュータの素人のためのマシンを作ろう。という哲学。
Windowsには哲学がない。
Macのまねをしたら画面にウィンドウがいくつも開くから、それだけで感激しちゃってWindows(窓の複数形)。
よほど感激したと見えて、ご丁寧にロゴマークまで複数の「窓」。笑っちゃうようなバカでしょ。
しかし、ビル・ゲイツの方が役者が上という見方もある。
すなわち、超えられないのではなく、意識的に超えないという見方だ。
商売としては猿まねの方が成功しやすい。
まして先行するのは市場の少ないAppleであってみれば。
日本では松下がソニーにそうしたように、自らはどっしりと後方に構え、優れものを先行させてその需要の動向をみてから大物は腰をあげればよいのだ。
そして、すぐに先行者の獲物(市場)を横取りし、さらに十分に残った市場を食い尽くすのみだ。
どちらが頭がいいのか。というより、どちらが商売人か?
ビル・ゲイツのすぐれた商んど技術、ネスケや一太郎やMac OSから顧客をかじりとっていった
「とりこんで更に加える」のやり方はなるほど、技術上より優れたものを生みだすことができるかもしれない。
しかし、最初に哲学がないから、ここでも常に思想がない。単なる機械や技術のグレードアップ。
Macはウインドウをつけてもそれに自身の名前やロゴを語らせるほどこだわらなかった。
なぜなら、Macにとってウインドウは、いくつ開いてどんなに便利だろうが、やりたいことをする(目的)のための手段でしかないからだ。
Windowsとはもともと見ているものが違うのだ。
コメント一覧
売れてる方が正義だ、なんて言う訳じゃないけど、これだからマカーは…って言われるんだよ。
どういう心構えで読めばいいのかが分からなくなる
みつを
確かそんな感じ
それを断ったのが、後にワースト経営者に選ばれる出井の時代
PowerBook100はソニーとアップルの技術の結晶
PowerBook2400は日本IBMとアップルの技術の結晶
そのifを考えるといろいろ面白いね
でも一応、Windows1.0は1985年のソフト。
だからといって、WindowsとMac、どちらか一方だけが優れているとは思わない。
それぞれ競って成長した。それだけのことだと。
MacとWindowsがあって今のExcelがあったりするわけだし。
日本人なら超漢字一択だろ?
パクって起源主張しちゃう根性と
大したことないものを凄いものに仕立てちゃうステマ力
OSがフロッピー1枚に入るモノクロ時代から、超簡単便利
鼻くそほじりながら、片手で作業できた。操作はドラックアンドドロップのみ。
一方Win、やたら行程が多い。一行程あたりクリック数が1~2回は多い。
しかも、クリック時にマウスやタッチパットのポインターが必ずずれる。
Macとは基本的な精度の桁が違うかららしい。
だから、Winは仕事で使うと疲労度が半端ない。
日本メーカーがんばれ。今からでも遅くない簡単便利なOS作れ。
windows 1ページ
mac 3行
これがマカーのマックを使っている9割の理由