503 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2012/03/06(火) 03:53:51.38 ID:EomiISGL [1/2]
小学5~6年の時、話題の中心に居たくて笑いを取る為なら色々、馬鹿な事をやってた
お弁当蓋側を下にして開けて真顔で食べてたり
授業中に椅子を斜めに浮かして真後ろに倒れたり
その程度でもある程度笑いは取れてたつもりだった。人気者のつもりだった。
高校入った頃、近くのコンビニでたむろしてる不良グループ(4~5人)がいた
高校も入らずに頭を染めて酒やらタバコやらをやってるような
連中みたいだったので見下した目線を一度送って帰ろうとしたら後ろから
『あいつ○○○じゃね?ぜって○○○だよ』と自分の名前を呼ばれた。
自分の事を知ってるヤツがいたようだ
ビクッとなって内心ヤバいと思ったが気取られないように
平穏を装って立ち去ろうとしたら後ろから
『あいつさ、小学校の頃、ガムじゃなくて
銀紙の方いつも噛んでたんだぜ?馬鹿じゃね?』
『え?何それ区別付かないの?そんなヤツいんの?ヤバくねww』
『だろ?信じらんねえだろ?学習能力ねんじゃねぇかw?ww』
『つか、銀紙一度噛んだら次から噛まねーってーのww』
『だよな、キーンてなんだからよキーンてw信じらんねえw』
『なるなるwあれ痛てぇんだよなw』
『なのに毎回噛んでんだぜあいつw』
『wwwwwwwwwwww』
その時、死にたくなった。信号が青で良かった。
コメント一覧
それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。
自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。
そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのでした。
おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗流してのサーヴィスでした。
自分は子供の頃から、自分の家族の者たちに対してさえ、彼等がどんなに苦しく、またどんな事を考えて生きているのか、まるでちっとも見当つかず、ただおそろしく、その気まずさに堪える事が出来ず、既に道化の上手になっていました。
つまり、自分は、いつのまにやら、一言も本当の事を言わない子になっていたのです。
太宰治『人間失格』より抜粋
著作権侵害通報しますた。
孫にあげるのは、そう、
ガムの銀紙。
なぜなら彼もまた大切な人だからです
自首しましたか
著作者の生存期間および死後50年までを保護期間の原則とする(著作権法51条2項)
太宰 治(だざい おさむ、1909年〈明治42年〉6月19日 - 1948年〈昭和23年〉6月13日)
>死没 1948年6月13日(満38歳没)
>死没 1948年6月13日(満38歳没)
>死没 1948年6月13日(満38歳没)
人を告発する時は告発した側も立証責任(挙証責任)が問われるからな。
悪質な場合は虚偽申告罪(痴漢でっあげて金取ろうとしたバカがこれで捕まった)に問われるぞ。
既に著作権を主張できるものがいない
望み通り話題の中心になってんだから
通報お疲れ様。
結果教えてね。
何をやっても好かれるし、嫌われ者は何かやったら
ますます嫌われる。
それを人気があると思い上がられたらたまったもんじゃないよね
一方的に同級生を不良呼ばわりしてる時点でコイツはクズだとわかる
赤なら良かったのにね