231 :転載 :2005/10/20(木) 06:23:27
二年ほど前の話。うちの家族は父さんが早くに死に、俺と兄さん、それに母さんの三人。
4つ上の兄さんは大阪で働いていて、
地元の実家にいるのは、俺と母さんの二人だけだった。
母さんは女手ひとつで俺と兄さんを大学に行かせてくれた。
無理し過ぎだと分かるほど、母さんは働いてた。
「自分の親が私を必死に育ててくれたんだから、
私も同じくらいの事はしなきゃ。」
母さんはそう言っていた。
それでもずっと元気だった母さんだが、ある頃から数ヶ月に渡って、
だんだんと様子が変わってきていた。あまり食事を取らないし、咳も多い。
平気だと言っていたが、夜も咳き込んで眠れてない日があるみたいだった。
最初こそ風邪がこじれているだけだと思っていたが、
あまりに長く続くので、それとは別の原因があると思うようになった。
ある時に、廊下でヒザをついて咳き込んでいる姿を見て、さすがにまずいと思った俺は
「本当に大丈夫だから」という母さんを半ば無理矢理、病院に連れて行った。
今思えば、母さんは自分の身体がどうなっているのか、分かっていたのかも知れない。
232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/20(木) 06:24:27
病院に行き、母さんの近況を説明すると、「レントゲンを撮って見ましょう」という事になった。
検査の後すぐに、診察室に呼ばれ、レントゲンを見せてもらった。
いくつかのレントゲンが貼ってあったが、俺はすぐに違和感に気がついた。
左の肺に、右の肺には無い拳くらいの黒い影がある。
これの詳細が分からなくても、医者の顔が深刻なのは分かった。
ただただ、思い過ごしである事を祈った。
でも、あっさりと医者の口から語られたのは、思い過ごしとは程遠い内容だった。
「ガンです。ステージもかなり進んでいます。」
「状況は、良くありません。」
ステージとか何とか知らないが、突きつけられた現実は、
俺の母さんがガンである事。単純に、そういう事だった。
心底、血の気が引いた。
母さんは「そうですか」と言ったきり、後は医者の説明に頷くだけだった。
何かが怖くて、母さんの顔を直視する事はできなかった。
こんな事、知りたくなかった。
病院に連れてきた事を後悔するくらいだった。
233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/20(木) 06:25:06
転移の可能性があるから、検査の為に入院するように言われた。検査入院は10日後だった。今すぐ検査してくれと詰め寄ったが、準備があると断られた。
家に帰って、兄さんに電話した。
「どうした?」と、兄さんの声を聞いた途端、また涙が溢れてきた。
「母さん、ガンだって」
泣いてしまって言葉が出なかった。
やっと声をふりしぼって伝えられた事は、これだけだった。
2日後に兄さんが服用したら末期ガンが治ったというワクチンの資料、
それにガンセンターの資料を持って帰って来た。 ワクチンはもう注文したと言っていた。
かなりの高額だったが、俺ももちろん文句など無かった。
母さんは兄さんの買ってきたワクチンに喜ばなかった。
「こんな弱みに付け込んだような薬を買わないで。」
「お医者さんの出す薬を飲んでいたら治るから」
「あなたのために貯金してたのよ。あなたの為に使って。」
そう言っていた。
兄さんは「母さんの命の為に使う事が、俺の為だ」と怒っていた。
兄さんの泣いてる顔を見たのは、初めてだった。
234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/20(木) 06:25:47
検査入院の結果は、覚悟していたものより悪かった。もしかしたら、という期待は完全に打ち消された。
悪性の末期ガン。身体の所々に、小さいながらも転移している。
外科手術もできない。抗ガン剤も、効果は期待できない。
医者の「諦めないでください」という言葉が、
もうどうしようもない事を俺に分からせた。
思えば、母方のおばあちゃんもガンで死んでいる。
お見舞いに行ったが、おばあちゃんは見る影もなくやつれ、笑顔すら怖かった。
そうして、だたの1回しかお見舞いには行かなかった。
だが、母さんはいつもお見舞いに行っていた。
俺はまだ幼く、何故あんなにも見るに堪えない人を、
お見舞いに行くのか、と不思議にさえ思っていた。
俺が同じ状況になって、やっと分かった。
どんなにやつれたって、見るに堪えなくたって、
母さんの見舞いを止める事なんてできない。
少しでも母さんの調子が良さそうな日があると、
このまま元気になってくれるんじゃないかと小さな小さな期待を抱いていた。
235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/20(木) 06:26:35
だが、すぐに、母さんはベッドから起きる事すらできなくなった。日に日に、弱っていく母さん。本当に毎日毎日、通った。
母さんと過ごせる日々が、もう残りわずかだと分かっていた。
だんだんと、まともに会話もできなくなってきた。
肺にガンがあるせいか、話す事が本当に辛そうだった。
だから俺は母さんの傍にいるだけで、何も話さない事もあった。
ただ傍にいるだけだが、それで少しでも母さんの励みになればと思ったからだ。
ある日、母さんはかすれた声で俺に言った。
「ここの所ずっと、悲しい顔ばかり。」
「笑って。お願い、笑った顔がみたいの。」
無理だった。
もうすぐ母さんはこの世からいなくなってしまう。
それなのにどうして笑えるんだ。
母さんの言葉に、涙が止まらなかった。
母さんは微笑んで、俺にありがとうと言った。
母さんの最後のお願いすら叶えてあげられなかったのに。
母さんは微笑みながら、泣いていた。
236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/20(木) 06:27:50
それから数日して、母さんは昏睡状態になった。無理だと分かっていたけど、
ずっと助かってくれ、助かってくれと祈り続けた。
もう一度だけでいい、話がしたい。
最後なんて嫌だ、嫌だ、嫌だ。
これほど祈った事なんて、後にも先にもこの時くらいのものだ。
だけど俺の祈りなんて届かなかった。
母さんは、そのまま息を引き取った。
心の底から、人の命の儚さを、大切さを知った。
葬式の時も、ずっと笑顔なんてできなかったけど、
二年経ってやっと、母さんの最後のお願いを叶えられると思う。
最後に母さんは俺にありがとうと言ったけど、
俺は泣いてるだけで何も言えなかったね。
今更だけど、天国の母さんに送ります。
ありがとう。
長文、失礼致しました。
コメント一覧
二人の息子を立派に育てたことを、十分に満足して旅立たれたと思います。
母親は健在だからまだ良いほうか
なのでこれは創作と思わせて頂く、
自分は親父が肺がんになった時に、仕事を言い訳にしてほとんど見舞いに行けなかった事を今でも後悔してる。
父親を亡くした時のことがよみがえってきた
親を大事にな
親が期待するのはそれだけだ。
素直になってもいいんだぜ
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