新宿駅西口バス放火事件
【事件概要】
勤め帰りのOLや、ナイターを見た親子ら30人が、
西口のバスターミナルの京王帝都バス、バスに乗車して
発車するのを待っている間の出来事だった。
中年の男が火のついた新聞紙と4リットルのガソリンが
入ったバケツを後部座席に向かって投げ込んだ。
火はまたたく間に車内に広がり、乗客が逃げ惑う惨状となった。
後部座席に座っていたため、まともにガソリンをかぶった
3人は全身火だるまになり座席に座ったまま焼死。
母親は若いころに台風で崩れた屋根の下敷きとなり死亡
定職を持たないアル中の父親に育てられる。
父親の無理解のため、小学校5年生で学校には通わなくなるが、
甲斐甲斐しくとび職や農業の手伝いなどをし、その後
建設作業員として全国を転々とする。
結婚をし子供を持つが、妻が酒と男にだらしがなく離婚。
施設に預けることになった子供には毎月仕送りをしていた。
その後、生活費がなくなり、新宿駅西口で寝泊りするようになる。
ある日、カップ酒を飲み、辛い生活を忘れることのできる
唯一の時間を楽しんでいると、頭上から罵声が聞こえてきた。
本来小心で真面目な丸山だったが、カッとなった。
「俺には寝ぐらもなければ、かぞくもいない。
どうして俺だけがこんなワリをくうんだ。
これまで、なにひとつ悪いことはせず、毎日、
真面目に働いてきたのに」
丸山は復讐の相手に、おそらく罵声をあびせたであろう
会社帰りの幸せな家庭を持つ”普通の人々”に狙いをつけ、
通勤帰りの客など30人が乗りこむバスを選んだ。
新聞紙とガソリンを使い、バスの後部乗降口から、
火のついた新聞紙とガソリンを放りこむとバスは瞬く間に炎上した。
この時、被害者の一人の女性(21歳)が全身に火傷を
負って路上を転げまわった。周りには野次馬が何百人も
いたが、だれも彼女を助けようとはしなかった。
それどころか、「熱い、熱い」と泣き叫ぶ女性に対し、
4人くらいが
「まだ生きてますか?」
と能天気に質問したりしたという。
後部座席で座った姿勢のまま焼死した3人のうち2人は、
野球観戦の帰りの父親と子供だと判明。この子供は
大の巨人ファンで、何度もせがんでやっと連れて行って
もらった野球観戦の帰りの惨事だった。
全身88%もの火傷を負ったが奇跡的に回復した。
杉原さんは事件後、服役中の丸山と面会しており、
裁判では「寛大な刑」を求めて上申している。
このとき丸山が杉原さんに送った手紙がある。
『おてがみありがとうございました。55年8月19日
はほんとにすまないことおしました いまじぶんはこかいしています
バスのおきゃくさんがのっているとはおもえなかった
めがはっきりみえなくてほんとにすまないことをしました
大ぜいがなくなりおわびのしよがございません
ほんとにすまない 丸山博文』 (原文ママ)
全面的に採用し、丸山に無期懲役を言い渡す。
この時、丸山は無罪と勘違いをして喜び、
傍聴席に向かって「ごめんなさい」と土下座した。
1997年10月7日、千葉刑務所で服役をしていた
丸山は「眼鏡を忘れた」と作業場に戻り、
配管にヴィニール紐を結び首吊り自殺した。
享年55才。
【事件概要】
勤め帰りのOLや、ナイターを見た親子ら30人が、
西口のバスターミナルの京王帝都バス、バスに乗車して
発車するのを待っている間の出来事だった。
中年の男が火のついた新聞紙と4リットルのガソリンが
入ったバケツを後部座席に向かって投げ込んだ。
火はまたたく間に車内に広がり、乗客が逃げ惑う惨状となった。
後部座席に座っていたため、まともにガソリンをかぶった
3人は全身火だるまになり座席に座ったまま焼死。
917: 2/7:2009/09/08(火) 21:06:17 ID:15+fekkS0
【犯人について】母親は若いころに台風で崩れた屋根の下敷きとなり死亡
定職を持たないアル中の父親に育てられる。
父親の無理解のため、小学校5年生で学校には通わなくなるが、
甲斐甲斐しくとび職や農業の手伝いなどをし、その後
建設作業員として全国を転々とする。
結婚をし子供を持つが、妻が酒と男にだらしがなく離婚。
施設に預けることになった子供には毎月仕送りをしていた。
その後、生活費がなくなり、新宿駅西口で寝泊りするようになる。
ある日、カップ酒を飲み、辛い生活を忘れることのできる
唯一の時間を楽しんでいると、頭上から罵声が聞こえてきた。
918: 3/7:2009/09/08(火) 21:08:06 ID:15+fekkS0
「邪魔だな、あっちへ行け!」本来小心で真面目な丸山だったが、カッとなった。
「俺には寝ぐらもなければ、かぞくもいない。
どうして俺だけがこんなワリをくうんだ。
これまで、なにひとつ悪いことはせず、毎日、
真面目に働いてきたのに」
丸山は復讐の相手に、おそらく罵声をあびせたであろう
会社帰りの幸せな家庭を持つ”普通の人々”に狙いをつけ、
通勤帰りの客など30人が乗りこむバスを選んだ。
新聞紙とガソリンを使い、バスの後部乗降口から、
火のついた新聞紙とガソリンを放りこむとバスは瞬く間に炎上した。
919: 4/7:2009/09/08(火) 21:09:17 ID:15+fekkS0
結局、この火災で乗客6人が死亡し、22人が重軽傷を負った。この時、被害者の一人の女性(21歳)が全身に火傷を
負って路上を転げまわった。周りには野次馬が何百人も
いたが、だれも彼女を助けようとはしなかった。
それどころか、「熱い、熱い」と泣き叫ぶ女性に対し、
4人くらいが
「まだ生きてますか?」
と能天気に質問したりしたという。
後部座席で座った姿勢のまま焼死した3人のうち2人は、
野球観戦の帰りの父親と子供だと判明。この子供は
大の巨人ファンで、何度もせがんでやっと連れて行って
もらった野球観戦の帰りの惨事だった。
920: 5/7:2009/09/08(火) 21:11:05 ID:15+fekkS0
この事件の被害者の1人である杉原美津子さんは全身88%もの火傷を負ったが奇跡的に回復した。
杉原さんは事件後、服役中の丸山と面会しており、
裁判では「寛大な刑」を求めて上申している。
このとき丸山が杉原さんに送った手紙がある。
『おてがみありがとうございました。55年8月19日
はほんとにすまないことおしました いまじぶんはこかいしています
バスのおきゃくさんがのっているとはおもえなかった
めがはっきりみえなくてほんとにすまないことをしました
大ぜいがなくなりおわびのしよがございません
ほんとにすまない 丸山博文』 (原文ママ)
921: 6/7(ラスト):2009/09/08(火) 21:12:02 ID:15+fekkS0
1986年 東京高裁、神田忠治裁判長は精神鑑定の結果を全面的に採用し、丸山に無期懲役を言い渡す。
この時、丸山は無罪と勘違いをして喜び、
傍聴席に向かって「ごめんなさい」と土下座した。
1997年10月7日、千葉刑務所で服役をしていた
丸山は「眼鏡を忘れた」と作業場に戻り、
配管にヴィニール紐を結び首吊り自殺した。
享年55才。
コメント一覧
※なんちゃて弱者を除く
周りの奴らが最悪だっただけなんだよな
ここまで追い込んだ奴らは何故捕まらないのかが疑問だよな
人が死んどるんやで
周囲の人間怖すぎ
ちゃんと生きてるのに、理不尽な罵声を浴びせられることはある
普通の人は越えない一線を越える奴は、どう言い訳しても許しちゃだめだろ
無差別殺人するなら社会のためにさっさと死んでくれ
その言葉は嫌い。罪は人に付随してるのに昔の人はいったい何を
言いたいんだって思う。主観だけど、犯した人によって同じ罪を
恣意的に許したり許さなかったり、処分に差をつけたりするのを
戒めるための言葉だと思いたい。
丸山に同情の余地はあれど、被害者にとっては加害者の人生より
「実際やられた行為」のほうが重要なんだよ。裁判の情状酌量まで
否定はしないけど、6人殺して無期なんて日本は狂ってる。
被害者の一人がカメラマンの妹だったんだよな
マスコミの人間なんて全員死刑にすれば良いのに
言い換えれば、まっとうに働いて生きてれば必ず(道義的な意味で)汚れてもくる
だから、生き抜く上で特に支障のないときには、できるだけ他人にやさしくありたい…ってのがある人と、
ない人がいる気がする
火傷から回復した女性は、そういうのが強かった人なんだろうな
犯人が酒飲んでるとこ無慈悲な言葉を吐いた奴は、逆にそういうのが一切ないタイプだったんだろう
ホームレスを見下す小さな高揚感を得たいがために、言わなくてもいい言葉を吐いて、人を傷つけて…
そういう奴に限って、善良な市民みたいな面でのうのうと生きてる
愛想をふりまくべき相手が誰か、よく知ってるから。
そうやって、反撃できない弱い立場の人間だけ追い込んでゆく
…日々何の気なしに人を傷つけてるその手の奴らが、一番害悪なんじゃねえか?と改めて思った。
全然、罪の意識がねえじゃないか!
首つり自殺?
刑を全うすることなく、勝手に逃げてんじゃねえ!
生い立ちやその後の生活状況は同情する…
だからといって、他人を勝手に不幸に陥れる権利がお前にあるのか?
逆に、幸せに生きてたとして、同様にどん底に落とされて「当然」と思うか?
人生からも自分の罪からも逃げただけじゃねえか!卑怯者!
いつの時代もそういう奴はいたんだな…
今日び享年の意味すらわかんない奴も多いからな
なんちゃって弱者ってBとか女様とかやろ?
リアル地獄変じゃねーか