684 名前:Trader@Live![sage] 投稿日:2012/09/06(木) 19:13:56.09 ID:nG3FxtKR
>>672■佐伯旭
半年でとり壊すパビリオンよりも、企業体質の強化に専念するため
1970年大阪・千里で開かれる万国博へは出展せず、天理市にELSI工場を含む総合開発センターを建設することにしました。
一介の町工場に過ぎなかったシャープを総合エレクトロニクスメーカーに成長させたこの決断は、「千里から天理へ」の英断として大きな話題を集めました。
1970年の正式社長就任を機に、創業者一族(早川一族)の粛清に乗り出し、クーデーターに成功。 以降27年間の長きに渡り、経営権を握り、シャープを佐伯一族の同族企業として育てました。
■町田勝彦
京都大学農学部を卒業、雪印乳業時代、牛の乳しぼりの技を習得、乳しぼりの技を人間に応用したことで、
佐伯社長の娘との結婚に成功し婿養子の強みを発揮しシャープの実権をにぎりました。
シャープ入社後は、店頭実演販売でターンテーブル式の電子レンジの売り上げを伸ばし、営業部長に抜擢され、一貫して営業畑を歩み、社長に就任。
「今までの延長線上でやっていてはダメになる。他社と違う戦略が必要だ」 「ナンバーワンよりオンリーワン」というオンリーワン経営を提唱。
テレビが家電の花形商品だった時代に、自社製ブラウン管をもっていなかったシャープの悔しさを原動力として 「国内カラーテレビすべて液晶に」という信念のもと、シャープの液晶テレビを世界シェア一位にすることに成功。
■片山幹雄
東京大学工学部を経て、1981年にシャープに入社、液晶の技術畑を歩み、49歳の若さで社長に就任。「千里から天理へ」という英断とは正反対の「黒字より堺へ」という暴挙を敢行し、2900億円の巨額赤字を達成した。
リスク回避のため核となるデバイスを常に複数もつ「スパイラル戦略 」という先人の教えを無視し、
「液晶一本足打法」という液晶がこければ会社がこけるというスリリングな経営を押ししすめ、見事にこける。
「ナンバーワンよりオンリーワン」という謙虚な経営をわすれ、目立ちたい一心のため、堺工場を建設し、増収増益黒字経営だったシャープを、わずか5年のうちに倒産の危機に追いやった無能な経営手腕が評価されています。
コメント一覧
真面目に読んじゃったじゃねーかwww
/ /
( Д )
目の付け所が違うからね
シャープというブランドに心酔してたんじゃないの
それで何をやっても成功するに違いないと思い込んでたとか
そうでしょうね
液晶畑の人で 液晶で世界一になった時期を知ってるだけに
どういう方向が業界のトレンドか という考え方じゃなくて
ウチがやることが業界のトレンドだ と勘違いしたんだろうなぁ
シャープにくっついて堺に工場を作ったガラス屋さんやマスク屋さんは
お気の毒ですな。
社長がこの状態になってた訳だ。
読んだけど忘れちゃった。