職場のイジメの被害者を助けてあげようとした結果
コピペ投稿者:名無しさん
投稿者ID:4scMgNUA
コピペ投稿日時:2013/01/31 19:33
コピペ投稿日時:2013/01/31 19:33
僕は、いろんな部署のいろんな職位の人とお昼ご飯を一緒に食べるのが好きで、いろんなお昼ご飯友達がいました。
そんななかで、パワハラやイジメの被害者から相談され、なんとか助けようと僕なりにいろいろやってみたことがあります。
被害者の中には、非常に聡明で、論理的で、好感の持てる方もおり、具体的な証拠もきちんとそろっており、
まちがいなくこの人の主張が正しく、加害者は「そうとう陰湿な、性根の腐った、人間のクズのようなやつら」だ、
と思えるようなケースもありました。
そこで、さぐりをいれたり言質を取ったりするため、加害者の方をお昼ご飯に誘ってみるわけです。
たぶん、屁理屈や詭弁でごまかすか、あるいは、開き直って
「うひゃひゃひゃ。あいつ、トロくてよ、あいつをイジメると、おもしれえんだ!
なんかムカつくことがあると、難癖をつけて、あいつを怒鳴り飛ばすことにしてんだ。
ストレス解消、すっげえスカっとするぜ!」
みたいなことを言うのかな、と想像しながら話を聞いてみたわけです。
すると、
「あいつよ、理屈はいつもご立派なんだけどさ、形ばっかり仕事してて、中身が伴わないんだよね。
先日なんかさ、客がムッときているのに、空気読めずに「僕が正しい」みたいなこと延々と主張し続けるんだもん、
俺、フォローに必死だったよ。
なのによ、あいつ、打ち合わせが終わった後、自分の力でこの仕事をやりとげたみたいなこと言うんだぜ…」
というような答えが返って来たりするんです。
まったく同じ事件なのに、加害者の視点から見ると、まるで違った様相が見えてくるのです。
最初のうちは、僕は、被害者の訴えが正しく、加害者が詭弁をろうしているだけだろうと思って、
被害者が事細かに説明して、証拠もある、と主張したことについて、いろいろ根掘り葉掘り追求してみるわけですが、
話しているうちに、被害者が言わなかった、被害者に不利な事実がどんどん出てくるわけですよ。
するとまったく同じ事実・真実が、別の視点から見るとぜんぜん別の意味合いを持って見えてくるんです。
真実は一つしかありませんが、その意味は複数あるんです。
それどころか、むしろ加害者は陽気で素直でいいやつで、
実力もあり、理屈よりも実利を優先するリアリストで、
被害者よりも加害者の方が好感の持てる人物のように感じられてきたりすることもありました。
こういうケースを何度か経験して思ったのは、
被害者にしろ、加害者にしろ、その主張がどんなに論理的に正しく、証拠もしっかりそろっていて、
完璧に正しいように見えても、彼らは、
自分に都合のよい証拠と理屈だけを並べる傾向がある、ということです。
特に「いじめる人たちは純度100%の悪の加害者で、自分は純度100%の正義の被害者だ。」
みたいな論調で「辻褄のあった物語」を語る被害者は、
例外なく、あとから被害者に都合の悪い事実がわんさか出てきました。
特に自分が正義だと臆面もなく言う人は、たいてい要注意でした。
少なくとも僕の経験上は、正義のはずの被害者のいうことを鵜呑みにして、
被害者の主張をそのまま責任者にぶつけて交渉すると、
どんどんボロがでてきて、擁護している僕の立場がヤバくなりました。
実際に直面して見りゃわかるけど、こういうのは、裁判よりよっぽど判定が難しいんじゃないかとすら思えてくる。
裁判の場合、明文化された法律の条文があるし、「推定無罪」とか近代法の基本原則が確立されているので、
はるかに判定しやすいんじゃないのか?
ところが、法律に違反しているかどうかを判定するのではなく、「道徳的な善悪」や「正義はどちらにあるのか?」
「道徳的にだれが悪かったのか?」という話になると、明文化されておらず、
しかも、統一もされていない価値観のぶつかり合いが生じる。
とくに、僕が今までに接したケースだと
例外なく、被害者は経営者視点がヌルかった。
「会社の経営がどうなろうか知ったことか!経営は経営者の責任だ!そんなものよりオレの正義が大切だ。」という人と、
「会社の経営をよくするためにみんなで頑張ろう」という人では、そりゃ、世界の見え方が違いますよ。
つまり、判定するには、自己申告者の感情的なバイアスが大きく、情報が不完全で、しかも判定基準が不統一、
かつ不明確、という壁にぶつかりまくって、結局客観的な判定ができないことばかりなんです。
そんななかで、パワハラやイジメの被害者から相談され、なんとか助けようと僕なりにいろいろやってみたことがあります。
被害者の中には、非常に聡明で、論理的で、好感の持てる方もおり、具体的な証拠もきちんとそろっており、
まちがいなくこの人の主張が正しく、加害者は「そうとう陰湿な、性根の腐った、人間のクズのようなやつら」だ、
と思えるようなケースもありました。
そこで、さぐりをいれたり言質を取ったりするため、加害者の方をお昼ご飯に誘ってみるわけです。
たぶん、屁理屈や詭弁でごまかすか、あるいは、開き直って
「うひゃひゃひゃ。あいつ、トロくてよ、あいつをイジメると、おもしれえんだ!
なんかムカつくことがあると、難癖をつけて、あいつを怒鳴り飛ばすことにしてんだ。
ストレス解消、すっげえスカっとするぜ!」
みたいなことを言うのかな、と想像しながら話を聞いてみたわけです。
すると、
「あいつよ、理屈はいつもご立派なんだけどさ、形ばっかり仕事してて、中身が伴わないんだよね。
先日なんかさ、客がムッときているのに、空気読めずに「僕が正しい」みたいなこと延々と主張し続けるんだもん、
俺、フォローに必死だったよ。
なのによ、あいつ、打ち合わせが終わった後、自分の力でこの仕事をやりとげたみたいなこと言うんだぜ…」
というような答えが返って来たりするんです。
まったく同じ事件なのに、加害者の視点から見ると、まるで違った様相が見えてくるのです。
最初のうちは、僕は、被害者の訴えが正しく、加害者が詭弁をろうしているだけだろうと思って、
被害者が事細かに説明して、証拠もある、と主張したことについて、いろいろ根掘り葉掘り追求してみるわけですが、
話しているうちに、被害者が言わなかった、被害者に不利な事実がどんどん出てくるわけですよ。
するとまったく同じ事実・真実が、別の視点から見るとぜんぜん別の意味合いを持って見えてくるんです。
真実は一つしかありませんが、その意味は複数あるんです。
それどころか、むしろ加害者は陽気で素直でいいやつで、
実力もあり、理屈よりも実利を優先するリアリストで、
被害者よりも加害者の方が好感の持てる人物のように感じられてきたりすることもありました。
こういうケースを何度か経験して思ったのは、
被害者にしろ、加害者にしろ、その主張がどんなに論理的に正しく、証拠もしっかりそろっていて、
完璧に正しいように見えても、彼らは、
自分に都合のよい証拠と理屈だけを並べる傾向がある、ということです。
特に「いじめる人たちは純度100%の悪の加害者で、自分は純度100%の正義の被害者だ。」
みたいな論調で「辻褄のあった物語」を語る被害者は、
例外なく、あとから被害者に都合の悪い事実がわんさか出てきました。
特に自分が正義だと臆面もなく言う人は、たいてい要注意でした。
少なくとも僕の経験上は、正義のはずの被害者のいうことを鵜呑みにして、
被害者の主張をそのまま責任者にぶつけて交渉すると、
どんどんボロがでてきて、擁護している僕の立場がヤバくなりました。
実際に直面して見りゃわかるけど、こういうのは、裁判よりよっぽど判定が難しいんじゃないかとすら思えてくる。
裁判の場合、明文化された法律の条文があるし、「推定無罪」とか近代法の基本原則が確立されているので、
はるかに判定しやすいんじゃないのか?
ところが、法律に違反しているかどうかを判定するのではなく、「道徳的な善悪」や「正義はどちらにあるのか?」
「道徳的にだれが悪かったのか?」という話になると、明文化されておらず、
しかも、統一もされていない価値観のぶつかり合いが生じる。
とくに、僕が今までに接したケースだと
例外なく、被害者は経営者視点がヌルかった。
「会社の経営がどうなろうか知ったことか!経営は経営者の責任だ!そんなものよりオレの正義が大切だ。」という人と、
「会社の経営をよくするためにみんなで頑張ろう」という人では、そりゃ、世界の見え方が違いますよ。
つまり、判定するには、自己申告者の感情的なバイアスが大きく、情報が不完全で、しかも判定基準が不統一、
かつ不明確、という壁にぶつかりまくって、結局客観的な判定ができないことばかりなんです。
コメント一覧
パワハラという言葉が普及すると、その言葉を利用して馬が合わない相手を
加害者に仕立て上げる奴が出てくるってことなんだろうね。
二者の対立を和解させる為には事態を客観視できる第三者が必須ということだよ
加害者被害者言ってる時点でもうね...
・周りの全員から嫌われて孤立してもそれはいじめではない。また、実際の裁判と同じく『指導』と『パワハラ』の基準は曖昧である。
・結局の所、どちらの言い分を優先すべきかは管理職等の権限がある人間が決めること。
普通の学生が仲裁なんて経験することはほぼないが、お前はどんな物騒なとこから来たんだ?
子供のころ友達の相談にのった経験ないの?
それは「仲裁」とは呼ばない
すごい説得力に感心した
駄目男とヒステリ女の家庭で育つと悲惨ですよ
単純に歓喜したりスカッとしてる人に
もう一度意識しながら読んで欲しいコピペだよ
ごめんね
普通にあると思うんだけど
あなたが単純に友人が少なかったか誰からも頼られてなかっただけじゃないの?
あってもおかしくないと
それとは別に法律用語としての「仲裁」行為ってのもあるし
社会人の場合失職する可能性もあるし、逆上した当事者から刺されかねんので仲裁に入るにはそれなりの覚悟が必要
というだけのことを長々とまあ