193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 23:02:52 ID:RAmW4BFX
細川藤孝が丹後を領していた頃の話である。彼の家臣に、市崎猪六郎と言う者がいた。
この男家中でも大変評判が悪く、また下人たちにも辛く当たったので、ほとんどの下人は彼の家から
逐電する有様であった。
そんな市崎の下人の中で、勝之介、番之介と言う二人だけは長く奉公を続けていた。
彼らは何事も堪忍と言う気持ちで働いていたが、それでも主人への恨みは募った。
ある時休暇を求めたが、許可せず、却って厳しく働かされた。そこでこの二人、このままでは
身が持たない、今夜にでも主人を殺して逐電しよう、そう話し合った。
そこで勝之介が言うには
「まあまて、二人とも立ち退かなくても、一人はここに残って、立ち退いた者の罪という事にしないか?
俺は主人を殺した後逃げる。お前はお上による詮議が終われば、そのまま年内はここに住み、
来年の正月18日に都の清水の子安堂で落ち合い、共に西国に下って名を変えどこかに奉公しよう。」
二人はそう申し合わせ、その夜、目論見どおり市崎を殺害した。
そして勝之介は逃げ出し、夜が明けてから番之介は騒ぎ出して役人を呼んだ。
この殺人は当然勝之介の仕業となり、奉行所の者たちは方々を改めたが、元々市崎は
悪人であったため、その調べも適当にすまされ、程なく捜査は打ち切られた。
ところで市崎の持ち物の中に、平盛嗣の物と言う、黄金作りの名刀があった。
番之介はふと思い立ち、これを隠しておいた、そして役人の取調べの時、
「勝之介はあの刀で主人を殺し、それを持ったまま逃亡したのです。」
と言った。番之介はこの刀があれば、両人にとって後々役に立つだろうと思ったのだ。
ところが、京に潜伏中の勝之介がこの事を聞くと、とたんに激怒した。
「盗人の名を取るなど末代の恥辱!」
そしてすぐさま丹波にひき帰り、番之介の親元に忍び入って名乗った上で皆殺しにし、
自分も即座に腹を斬って果てた。
そのおり書置きを残していたので、この事件の全貌も暴かれ、番之介もまた、捕らえられたとの
事である。
主殺しの名はかまわないけど、盗人の名は我慢できないと言う、
この当時の人の、名の惜しみ方が面白い。
コメント一覧
…かな?
当時は連座刑とかあったからじゃないかな?
本人訪ねたけど居なかったからかもしれない
うちの家訓
遺恨を晴らすために殺したのに金目当てみたいなカスみたいな安っぽい理由にされたらかなわんだろ
勝手に自分の名前で泥棒してたら普通に殺意がわくと思う。
俺だったら初めから小銭ちょろまかしのために自分をハメたとすら勘ぐる。