253 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/08(金) 00:20:38 ID:O+EPmnA0
永禄七年(1564)、徳川家康の三河吉田城攻めで、徳川十六神将の一人としても数えられる、当時26歳の青年、蜂屋半之丞は、本多忠勝と先陣を争い、数多の敵を討つなど大きな活躍を見せた。
が、不運にも流れ弾に当たり、討ち死にした。
半之丞の屋敷では、彼の母が半之丞の帰りを待っていた。
蜂屋家の家来達が戦場より返ってきたので母は急いで門前に走り聞いた
「半之丞はどうなりました!?」
これに家来は沈痛な面持ちで、「討ち死になされました」と、報告をした。
ところが、母はこの家来にキッと顔を向け
「そんなことは知っています!討ち死にまでの首尾はどうだったかを聞いているのです!」
「そ、それでしたら、多くの敵を斃しました。」
にこりと笑い
「それを聞きたいと思っていたのです。」
そう言って、奥へと戻っていった。
そして家来たちに見えぬところまで下がると、そのまま打ち伏し、前後もわからなくなるほど
泣き、嘆いたとのことである。
当主である半之丞が死んだ以上、蜂屋家を守るのはこの母である。
息子の戦死とはいえ、家来達の前で嘆くわけにはいかなかったのだ。
そんな時代の、武士の母の、お話。
コメント一覧
当人はともかく周りまで本気で思ってないでしょ
赤穂の義挙や捕虜を拒否しての集団自決だって
絶対数少ない(藩士47人だけ)から話題性がある訳で
当時も大多数の人は家族や生活を守って生き永らえた
想いは尊いかも知れないが何の為だと言われても
自分の家族や大切な人が命を掛けるのは容認し難い
どう思おうと自由ではあるけど、口に出す場所と言葉は選ぶべき
建前なんて言葉は侮辱と取られても仕方ない位酷い言葉だよ
そして何より「国の為」や「武士道」、「特攻」等の多くは、貴方の言う大切な人の為にやった事だと理解するべきだ
みんな容認し難いんだよ、けど容認し讃えるんだ。
だって、最後の命を懸けた行いまで否定したら、当人の存在や思想、人生を否定する様なものだから。
そして、遺族や助けられた人はその遺志を継いで行くんだよ。
これは建前なんかでは決してない。
命なんて安いもんだ、武人の命ならなおさらな
トンネルや橋梁工事なんかの度に、何人も労働者がなくなっているもの
人の命の価値が高騰したのなんて、つい最近の一部の国と地域だけ
逆だな
家来にも命を懸ける事を強いているからこそ当主として自分の親族が死んだくらいでは目の前で取り乱せない
特別扱いになるからな
仮に一人一人の死に取り乱したとして、それば慈悲深いかもしれないが家来を不安にさせトップの器ではないと思われてしまう
本心を素直にさらけ出せない苦悩はこの母に限った事ではなく上に立つもの全員が持ってると思うけどね
君はホントにバカだな
下手すりゃテロリストに教育されかねん浅はかさだぞ
ま、せいぜい過去を賛美しまくって、同じ過ちを繰り返し続ければ良いが
周りの人間にも迷惑が及ぶのが、はた迷惑極まり無いところだ
全肯定しなきゃいけないほど高尚なもんでもあるまいて
上意なら特攻も切腹も辞さず、と言うのが日本人の心意気
あ、クソ宗教にまみれた半島人かwww