昔の女は昔は15、16で嫁入りしていた…と、鬼の首をとったように言う男たちが2chやtwitter界隈に多数居るが、
当時の男も12歳から15歳くらいで元服、つまり成人して社会の一員となり、
一人前の男として重要な責任と義務を負っていたことを忘れてはいけない。
現在の男が一人前になる年齢は、22歳だろう。大人になる年齢が5~10年も遅れているんだよ、当時と比べたら。
結婚は、上級武士だと20代前半、下級武士だと30歳前後で行っていた。差が生まれる理由は、親の生活費。
妻が内職をしてくれる町人の家と違って、武家は専業主婦が基本だから、
充分な俸禄をもらっている武家は、親の生活費のことなど考えずに適齢期(20代前半)のうちに妻を迎えられるが、
家計が厳しい武家は、両親が亡くなって食費と部屋に余裕が出来るまで妻を迎えられなかった。
妻子が欲しいなら両親が死ぬのを待たなきゃいけない…。貧しさとは辛いものだね。
当時の基準では、若いうちに結婚できる男ほど上流、結婚が遅れた男ほど下流、という認識だった。
政略結婚では10歳11歳での婚約も当たり前だし、生後一か月での婚約なんて話もある。
上流であるほど「家」の利のために生きなければならないのは当たり前のことだった。
家に支配されることが上流の証であるとも言える。
また、上流の武家の男は再婚も可能だけれど、一般の町人はなかなか再婚できなかった。
江戸は全国から次男坊三男坊が集まり、男女比が3:1だった街。
添い遂げる夫婦は4組に1組しか無く、離婚した妻にはすぐ貰い手がつくが、離婚した夫の多くは生涯一人身となった。
「男やもめに蛆が湧き、女やもめに花が咲く」と言われたのは、夫と離別した妻が「女」に復帰するのに対し、
妻と離別した夫が「男」として返り咲く機会がほぼ与えられていないことにも理由があった。
処女にこだわるのは日本の古くからの価値観だと主張する男も居るようだが、別にそんなことはなかった。
家康の側室・茶阿局は農民の未亡人だし、お亀の方は最初の夫と死別後、別の男の側室になり、その後家康の側室になっている。
西郷局も、最初の夫と二番目の夫に死なれた未亡人。その後家康の側室になった。
当時の女性は、若いうちにさっさと嫁ぐし、夫が死んだらさっさと次の男に嫁ぐし、よく子供を産む。
家康の側室たちも、何回か結婚してそれぞれの夫の子を産んでいたりする。
なぜそうしていたのか。当時の男は戦でポンポン死んでいた。何かあったら責任を取るだのいって腹を切らされていた。
元服したらいつ死んでもおかしくないというくらい死にまくっていた。
元服前、子供の頃にも病気などで死にまくっていた。
だから早く嫁ぎ、早く子をもうけないと、家が途絶えてしまう。その危機感で熱心に子づくりしていたのだろう。
現在の男はそこまでしょっちゅう死なないので、早く子を作らないと!という危機感が薄い。
そのことを踏まえると、少子化対策にはリミットを設けて危機感をあおるのが最も良い方策であると思う。
たとえば、40歳を過ぎての初婚を法律で禁じてみてはどうだろう。
30代のすべりこみ婚が激増するだろうし、20代も焦って婚活に励む人が増えるだろう。
江戸時代の平均寿命は40前後。死というリミットが先延ばしにされた分、法律で切るのが有効なのではないだろうか。
当時の男も12歳から15歳くらいで元服、つまり成人して社会の一員となり、
一人前の男として重要な責任と義務を負っていたことを忘れてはいけない。
現在の男が一人前になる年齢は、22歳だろう。大人になる年齢が5~10年も遅れているんだよ、当時と比べたら。
結婚は、上級武士だと20代前半、下級武士だと30歳前後で行っていた。差が生まれる理由は、親の生活費。
妻が内職をしてくれる町人の家と違って、武家は専業主婦が基本だから、
充分な俸禄をもらっている武家は、親の生活費のことなど考えずに適齢期(20代前半)のうちに妻を迎えられるが、
家計が厳しい武家は、両親が亡くなって食費と部屋に余裕が出来るまで妻を迎えられなかった。
妻子が欲しいなら両親が死ぬのを待たなきゃいけない…。貧しさとは辛いものだね。
当時の基準では、若いうちに結婚できる男ほど上流、結婚が遅れた男ほど下流、という認識だった。
政略結婚では10歳11歳での婚約も当たり前だし、生後一か月での婚約なんて話もある。
上流であるほど「家」の利のために生きなければならないのは当たり前のことだった。
家に支配されることが上流の証であるとも言える。
また、上流の武家の男は再婚も可能だけれど、一般の町人はなかなか再婚できなかった。
江戸は全国から次男坊三男坊が集まり、男女比が3:1だった街。
添い遂げる夫婦は4組に1組しか無く、離婚した妻にはすぐ貰い手がつくが、離婚した夫の多くは生涯一人身となった。
「男やもめに蛆が湧き、女やもめに花が咲く」と言われたのは、夫と離別した妻が「女」に復帰するのに対し、
妻と離別した夫が「男」として返り咲く機会がほぼ与えられていないことにも理由があった。
処女にこだわるのは日本の古くからの価値観だと主張する男も居るようだが、別にそんなことはなかった。
家康の側室・茶阿局は農民の未亡人だし、お亀の方は最初の夫と死別後、別の男の側室になり、その後家康の側室になっている。
西郷局も、最初の夫と二番目の夫に死なれた未亡人。その後家康の側室になった。
当時の女性は、若いうちにさっさと嫁ぐし、夫が死んだらさっさと次の男に嫁ぐし、よく子供を産む。
家康の側室たちも、何回か結婚してそれぞれの夫の子を産んでいたりする。
なぜそうしていたのか。当時の男は戦でポンポン死んでいた。何かあったら責任を取るだのいって腹を切らされていた。
元服したらいつ死んでもおかしくないというくらい死にまくっていた。
元服前、子供の頃にも病気などで死にまくっていた。
だから早く嫁ぎ、早く子をもうけないと、家が途絶えてしまう。その危機感で熱心に子づくりしていたのだろう。
現在の男はそこまでしょっちゅう死なないので、早く子を作らないと!という危機感が薄い。
そのことを踏まえると、少子化対策にはリミットを設けて危機感をあおるのが最も良い方策であると思う。
たとえば、40歳を過ぎての初婚を法律で禁じてみてはどうだろう。
30代のすべりこみ婚が激増するだろうし、20代も焦って婚活に励む人が増えるだろう。
江戸時代の平均寿命は40前後。死というリミットが先延ばしにされた分、法律で切るのが有効なのではないだろうか。
コメント一覧
, -――- 、
/ ヽ
| ノ ー | それっておかしくね?
|(・) (・) | だって、お前30過ぎて童貞じゃん
| ( |
ヽ O 人
>ー-― ´  ̄ ̄\
⊂ニニ ̄ ̄ ̄ヽ / |
くメ) _ノ | | | | |
(/ | | / | | |
| |/ /| | |
| ト / | | |
ヽ__/ | | |
70年も80年も生きてる時代と比べてもな。
10代20代の内に、ノリや出来婚して、すぐつまらない離婚した人もいる
(もちろんそのまま幸せに結婚生活送ってる若い夫婦も多数存在しているのも確か)。
個々のタイミングでするのが一番だ。
法律に拘束されてまで結婚なんてしたくないわ
子孫残すことにメリットないし
もちろん個々が幸せな結婚をするのが1番だろうけど、このコピペがいいたいのはそれじゃ少子化になんね?ってことじゃないだろうか。
同じようなことは男も言われてるだろ
むしろ今は女への批判は避けられる傾向にあるのに対して、男への批判は当たり前のように行われているのが現実
そんな前提めいた文面だったかな
1行目からそんな感じじゃん
なんと現代人が大学を卒業して2~4年で江戸時代の人の一生分を生きたことになるんです
そんな事しても根本的な解決になってないだろ
40歳過ぎたら結婚しなければ罰せられない訳だし
結婚を40歳がリミットの権利とみなすことによって、出来る人は早めに決めると思うから単純に結婚率、及び出生率は上がると思うよ
良いか悪いかは別として
秀吉のように良家の年若い姫を重点的に側室にしていた例もあってだな
ま、後家であれ何であれ
跡継ぎを欲しがっている立場の男から見れば、子を産んだ実績のある女は魅力的だろうな
男の子を産んだ「男腹の婦人」ならなおさらだ
子供手当てとかケチなこと言わずにどどんと1人あたり20万だ!
ってこれくらいやんなきゃ少子化なんか解消しねーよ
それかSFばりに国で試験管ベビー量産するとか
高齢になるほど卵子の質が悪くなり受精率も下がるのは事実だが、数は関係ない。
毎月1〜2個が排卵されるのは20歳も40歳も同じ。
ちなみに精子も高齢になるほど質が悪くなる。
昨今、高齢母体の卵子による障害が問題視されているが
高齢精子が障害の原因である可能性も同じだけあることを忘れてはいけない。
きっとわかってるよ。
「子供が少なくたって、老人が意地汚く長生きしなけりゃ問題ない。
だけどさっさと死ね!なんて言ったら選挙で負けるからなぁ……
本音じゃそう思ってる人も多いくせにこの建前国家人種がっ!」
案外80くらいまで生きてるじいさんも多かったそうな。
25くらいでコロッと死ぬわけじゃない。
通い婚も夜這いもあったし、今より性は乱れていたよ。
銭湯は混浴だったんで、若いお嬢さんにイタズラする
不届き者も多かった。ただ、暗かったから
本当に若いかは外に出て見ないとわからない、ってこともあったよ。
当時の銭湯は喪女救済システムでもあったのだな
当然、どこの誰ともわからん喪女や年増女に挑みかかられて半泣きの若い衆ってのもいたんだろうなあw