同じ町に住む六歳から九歳までの藩士の子供たちは、十人前後で集まりをつくっていました。
この集まりのことを会津藩では「什 (じゅう)」と呼び、そのうちの年長者が一人什長(座長)となりました。
毎日順番に、什の仲間のいずれかの家に集まり、什長が次のような「お話」を一つひとつみんなに申し聞かせ、
すべてのお話が終わると、昨日から今日にかけて「お話」に背いた者がいなかったかどうかの反省会を行いました。
一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです
※什により、一つ二つ違うところもありましたが(「戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ」はすべての什にあったわけではないようです)、
終わりの「ならぬことはならぬものです」は、どの什も共通でした。
そして、「お話」に背いた者がいれば、什長はその者を部屋の真ん中に呼び出し、事実の有無を「審問」しました。
事実に間違いがなければ、年長者の間でどのような制裁を加えるかを相談し、子供らしい次のような制裁を加えました。
一、無念(むねん)
一番軽い処罰です。みんなに向かって「無念でありました。」と言って、お辞儀をしてお詫びをします。
「無念」ということは、「私は会津武士の子供としてあるまじきことをし、名誉を汚したことは申し訳がない、まことに残念であります。」という意味でした。
二、竹篦(しっぺい)
いわゆる「シッペ」です。制裁の重さに応じて、手のひらに加えるか又は手の甲に加えるか、何回加えるかを決めました。
仲がいい相手だからと力を抜くものがいれば、什長は厳しく目を光らせ、すぐにやり直しを命じました。
三、絶交(ぜっこう)
一番重い処罰です。これを「派切る(はぎる)」と言い、いわゆる「仲間はずれ」でした。
めったに加えられる罰ではありませんでしたが、一度「絶交」を言い渡された場合には、その父か兄が付き添い「お話」の集まりに来て、
什長に深くお詫びをし、什の仲間から許されなければ、再び什の一員に入ることができませんでした。
四、その他
火鉢に手をかざす「手あぶり」や雪の中に突き倒して雪をかける「雪埋め」というような制裁もありました。
子供にとって仲間たちから受ける審問は辛いものではありますが、「お話」も「制裁」もすべて大人たちに言われてつくったものではなく、
子供たちが制約や強制を受けずに自分たち自身でつくり、「会津武士の子はこうあるべきだ。」ということを互いに約束し、励み合ったのです。
この集まりのことを会津藩では「什 (じゅう)」と呼び、そのうちの年長者が一人什長(座長)となりました。
毎日順番に、什の仲間のいずれかの家に集まり、什長が次のような「お話」を一つひとつみんなに申し聞かせ、
すべてのお話が終わると、昨日から今日にかけて「お話」に背いた者がいなかったかどうかの反省会を行いました。
一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです
※什により、一つ二つ違うところもありましたが(「戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ」はすべての什にあったわけではないようです)、
終わりの「ならぬことはならぬものです」は、どの什も共通でした。
そして、「お話」に背いた者がいれば、什長はその者を部屋の真ん中に呼び出し、事実の有無を「審問」しました。
事実に間違いがなければ、年長者の間でどのような制裁を加えるかを相談し、子供らしい次のような制裁を加えました。
一、無念(むねん)
一番軽い処罰です。みんなに向かって「無念でありました。」と言って、お辞儀をしてお詫びをします。
「無念」ということは、「私は会津武士の子供としてあるまじきことをし、名誉を汚したことは申し訳がない、まことに残念であります。」という意味でした。
二、竹篦(しっぺい)
いわゆる「シッペ」です。制裁の重さに応じて、手のひらに加えるか又は手の甲に加えるか、何回加えるかを決めました。
仲がいい相手だからと力を抜くものがいれば、什長は厳しく目を光らせ、すぐにやり直しを命じました。
三、絶交(ぜっこう)
一番重い処罰です。これを「派切る(はぎる)」と言い、いわゆる「仲間はずれ」でした。
めったに加えられる罰ではありませんでしたが、一度「絶交」を言い渡された場合には、その父か兄が付き添い「お話」の集まりに来て、
什長に深くお詫びをし、什の仲間から許されなければ、再び什の一員に入ることができませんでした。
四、その他
火鉢に手をかざす「手あぶり」や雪の中に突き倒して雪をかける「雪埋め」というような制裁もありました。
子供にとって仲間たちから受ける審問は辛いものではありますが、「お話」も「制裁」もすべて大人たちに言われてつくったものではなく、
子供たちが制約や強制を受けずに自分たち自身でつくり、「会津武士の子はこうあるべきだ。」ということを互いに約束し、励み合ったのです。
コメント一覧
http://ja.wikipedia.org/wiki/什_(会津藩)
什(じゅう)は会津藩における藩士の子弟を教育する組織。
同様の組織に薩摩藩の「郷中」がある。
[こういうのが嫌いな方用]
★会津藩~什の掟~が嫌いです
http://ruandkuma.blog46.fc2.com/blog-entry-671.html
この国にもまだSAMURAIがおったか…。
「お話」の内容は子供の年齢や時代的に悪くないとして
刑罰に運用者の裁量が大きすぎるのが最大の問題かと思われ
女の子の口から名前出して貰えるなんてどんだけリア充だよ
そんくらいでリア充とか
俺なんて机に触れただけでキャーキャー言われたもんだ
これ、今の子供の教育にも使うべきだよなあ。
理屈じゃなく駄目なものは駄目ってのも真理だよ。
それお前らが忌諱する「価値観の押しつけ」に他ならないからな。
上司「酒も車も女もない生活って楽しいのか?」ってのと同じだよ?
あなた達の言う「キャー」は歓声でしたか?
「キャー」の他に「イヤー」や「ギャー」が混じった悲鳴ではありませんでしたか?
僕は悲鳴をあげられることもなく、ひたすら空気でした。
街中や電車では周りに空間ができます。
上意であれば理由も無くだし売られたケンカでも諌める為でも
殿様が変わっても差し当たって死んで詫びなきゃならんもの
価値観の押し付けかどうかは内容による
そして、「ダメな事はダメ」というのは
得てして法律的には禁じられてないがマナーや一般常識として宜しくない物事かつ
対象が理屈等が通じない子供の時に言う事なので
価値観の押し付けにはならない
マナーや一般常識が押し付けになってしまうなら、対象は人ではなく猿だな
そういう奴らに必要なのは、人権や自由・教育よりも調教だ
度がすぎれば自身が
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
にそむくというのがミソではなかろうか