102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/21(土) 13:05:28 ID:9tA4W02g
謎の黒武者の正体慶長5年7月、石田三成が家康打倒の兵を挙げた。
関が原戦役の開幕である。
三成挙兵の報を受けた家康は、伊勢・伊賀の諸将に帰国を命じた。
来るべき決戦に備えて、西軍の足止めをする為にである。
その命を受けた諸将の中に、まだ20代後半の青年武将・富田信高がいた。
信高が帰った津城は、西軍の大軍に攻められていた。
籠城側は松坂からの援軍や町民を含めて1700余り。
対する西軍は、毛利秀元、長束正家、安国寺恵慶など、その数3万余の大軍勢。
しかも、この頃の津城は小さな平城で到底持ちこたえるような代物ではなかった。
四方を囲む西軍によって、津の町は灰燼と化し、三の丸、二の丸は破られた。
さらには大砲で天守や城壁が破壊され、城内は阿鼻叫喚の惨状を呈した。
城主・信高は意を決して大手門を開き、自ら打って出て槍を振るった。
しかし、やはり多勢に無勢である。籠城側は奮戦するも、その多くが討ち取られた。
最早ここまでと悟った信高は、城内で腹を切るべく馬を返した。
そこへ、城主の首をとるべく、西軍の兵が殺到した。
敵兵に背中を見せるは武人の恥、むしろ名誉の戦死をと信高は再び敵兵に向かった。
103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/21(土) 13:22:42 ID:9tA4W02g
>>102の続き一度は敵中での死を求め家臣と共に引き返した信高であったが、
たちまち敵兵に包囲され、穂先をかわすのが精一杯の有様となった。
その時である。
背後の大手門から、一つの漆黒の影が現れ出でた。
それは、漆黒の革を張った具足に身を包み、兜には半月の飾り、
片鎌の手槍を持った小柄な武者であった。
信高も見知らぬこの黒武者は、手槍を振るい敵兵に手傷を負わせ、なおも突進した。
思わぬ助太刀に命を拾った信高主従は血路を開き、大手門まで退却する事が出来た。
本丸に入って一息ついた信高は、黒鎧の武者が女である事に気がついたが、
全く心当たりがなかった。
すると黒武者は信高の前に出て、涙まじりに話しかけた。
「あなたが討ち死にしたと聞き、同じ枕に討ち死にしようと駆けつけました。
まさか、生きてあなたにお目にかかれるなんて……」
それは、信高の奥方であった。
日頃はつつましい奥方の姿に、信高はただただ驚愕するだけであった。
翌日、城を西軍に明け渡すも、戦後の論功行賞で信高はその戦功を評価されるのであった。
コメント一覧
そのあとどんな風に暮らしたのかも気になるよね。
ずるいぞお前!ハリセンボンの箕輪にしろ!
やめろ
それだったら敵軍殲滅だろうが
それも美人で「悔しいビクンビクン」どころか
並みの男なら、気力負けして萎えさせられかねない豪傑がいるから
やっぱり男も女も同じヒトなんだと感じる
「ジャギでも描けるマンガ教室」みたいな?
奥方役は枢斬暗屯子
俺ならきっとそう言って泣く。