同じことやってるのに…
コピペ投稿者:名無しさん
投稿者ID:EuqjKznp
コピペ投稿日時:2013/11/30 00:02
コピペ投稿日時:2013/11/30 00:02
821 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/11(水) 16:16:10 ID:NxqqaRRi
利休の弟子、古田織部は西岡3万5千石の大名として、大阪の陣に参戦した。佐竹義宣の陣を訪れた帰り道、竹やぶを発見した。
「うむ、シュピッと良い竹よ・・・この竹で茶杓を作ったら、面白いかも知れん。」
戦時下にもかかわらず竹やぶに入り、良材を探し始めた。
案の定、折からの日差しが織部のテッカテカのハゲ頭を照り返し、大阪方の物見に
見つかった。
「あれは、古田織部ではないか。良き首ぞ、討て!討ち取れーい!!」
やぶの中の光る物体目がけて、鉄砲が火を噴いた。
織部は「やられた・・・!」と、血を流しながら竹やぶから飛び出し、大慌てで逃げ出した。
が、後で傷を見ると、ハゲ頭にチョッピリかすっただけだった。
「自分から危険に飛び込んで、そのザマか。オッサン、茶の湯もええ加減にせえ。」
全軍の笑いものになったという。
織部の弟子、上田宗箇は浅野家の家老格として、大阪の陣に参戦した。
陣を構えて敵を待っているうち、竹やぶを発見した。
「おお、良い竹ではないか・・・この竹で茶杓を作ったら、面白いかも知れん。」
戦時下にもかかわらず竹やぶに入り、良材を探し始めた。
案の定、大阪方の物見に見つかったが、宗箇はなおも夢中で良材を探していた。
「待て落ち着け、これは宗箇のワナだ。宗箇ほどの男が、一人でこんな所にいる訳がない。
退け!退けーい!!」
宗箇が気づいた時には、すでに敵の背中は遠くなっていた。
こうして選んだ竹から作られた名物茶杓・銘『敵がくれ』は、現在も茶道宗箇流宗家が
所有しており、『風流武辺』上田宗箇の武勇と数寄心を、今の世に伝えている。
・・・・・・あ、アルェ━━━━━━??!
コメント一覧
結構猛将のはずなんだけど。
「けが」あったけど「けが」しなかった
(かすり傷とは言え)「けが」をしたけど「けが」なかった織部
「けが」あったけど「けが」しなかった宗箇