212 名前:本当にあった怖い名無し 2012/08/25(土) 02:24:48.08
1968に行われた、和田心臓移植ある大学生Aが海で溺れ、意識不明のまま街の病院に運び込まれた。
一旦は心停止したものの、心臓が鼓動を再開し徐々に回復の傾向を見せる。
しかしその日の19時頃、患者は急遽大病院に運ばれることとなる。
容態が急変したので大病院に場所を移すというのだ。
大病院に運ばれたAは脳死と判断された。大病院のW教授は、心臓移植に踏み切る。
大病院にはBという心臓病を患った患者がいて、Aの心臓をBに移植するのだ。
午前零時過ぎに家族を説得し、翌日午前2時前、W教授を執刀医にしてついに日本初の心臓移植手術が行われた。
午前5時前、手術が終了。手術は成功した。Bの容態は徐々に回復し、新聞各社はこの一大事を大々的に報道した。
1週間後、Bはついに意識を回復する。飲食したり、会話をしたりと経過は良好だった。
しかし手術から12週間後、Bが急死した。
W教授は、気管支に痰が詰まったことによる呼吸困難だと説明する。13時間もの緊急処置にも関わらず…。
記者発表の場で、ある記者が教授に尋ねる。
「13時間も粘ったのですか?Aの時は緊急搬送から数時間で心臓移植を決断したのに…。」
一連の出来事の後、様々な疑惑が浮上することになる。
まず、Aは自発呼吸があり血色も良かったが、大病院に運ばれるといつの間にか脳死と判断されたこと。
W教授は心電図と脳波で確認したと証言したが、詳しいことは「(手術の5ヶ月後にガンで死亡した)医師が
担当していたので分からない」と述べた。心電図は失くしたとも述べた。
次に、手術の際、麻酔を担当しようとした麻酔医を、手術を担当した胸部外科がなぜか追い払ったこと。
さらに、Bの容態は、心臓移植手術をするほどのものだったか、という声も上がっている。
実際、Bは心臓の弁に問題があったが、その弁を人工弁に置き換えれば済んだ、と診断されていた。
そのBの心臓は、手術後3ヶ月ほど行方不明になり、発見された際は弁が切除されていた。
そして、心臓移植手術を決断したからたったの1時間程度で、移植手術に必要な人員や道具を用意できたのか。
実際は緊急搬送の時点で、手術を決断していたのではないか。
W教授は後に捜査のメスが入るも、結局嫌疑不十分で不起訴。
2011年に逝去し、真実は完全に闇の中へと消えた。
コメント一覧
http://ja.wikipedia.org/wiki/和田心臓移植事件
1968年8月8日に和田寿郎を主宰とする札幌医科大学胸部外科チームは、
日本初、世界で30例目となる心臓移植手術を実施した。
ドナーは21歳の溺水事故を起こした男子大学生。
レシピエントは18歳の男子高校生。
和田によれば、多弁障害を抱え人工弁置換術では根治できないとされる患者であった。
手術は約3時間半をかけて明け方、終了した。
レシピエントは意識障害がなかなか回復しなかったが、やがて意識回復。
8月29日には屋上で10分間の散歩をし、その回復振りをマスコミに披露した。
その後、一般病棟に移ったが、9月に入ると徐々に食欲不振に陥る。
検査の結果、輸血後の血清肝炎と診断された。
術後においても発症が現れていたという、意識混濁の症状も進みはじめたレシピエントは、
10月に入って一旦、小康状態を発表されるが、
手術後83日目の10月29日に食後に痰を詰まらせ長時間にわたる蘇生術の甲斐もなく
呼吸不全で死亡したと医師団により発表された。
さらに詳細は共同通信社の「凍れる心臓」に詳しい。
うむ、大儀であった
天晴れじゃ、褒美をとらす
苦しゅうない 近う寄れ
厚過ぎる。こういう事例で不審を抱かれたら、積極的なドナーだって
いなくなって、結果的に医療は衰退するばかりだな。
※2
どれどれ、六尺ふんどしを解いてやるから「あーれー」やってくれ。
入れてやってくだされ!
医師が殺人容疑で逮捕されたよな。
まともな評論家の人とか医療の専門家とかは
「これで医者に責任があるというのは無茶だ」と発言していたけど
み〇もんたみたいな コメンテーター気取りの芸能人は
安っぽい感情論とズレた正義感を振りかざして医者を叩きまくってた。
イニシャルにする意味ない
随分日本の医療は適当な事やってんですね
そう思ったけど1968だと仕方ないか…
ただ、父が脳梗塞で入院してる経験から言わせて貰うと
医者に聞く前に絶対に自分で調べた方が良いよ
今はネットで幾らでも勉強できる
膨大な医学知識を修めるのは無理でも、脳梗塞や○○癌みたいな
1つか2つの病気・障害なら知識を付け数多の症例を調べられるからね
中には自分の意向に背いたからって「好きにしろ!もう診ないからな!」とか言う医者も居るし
調べて損する事はない