はっきり言う。
俺はお前を愛している。
しかし、俺の心の中には今ではお前よりもたいせつなものを蔵するようになった。
それは、お前のように優しい乙女の住む国のことである。
俺は、昨日、静かな黄昏の田畑の中で、まだ顔もよく見えない遠くから、俺達に頭を下げてくれた子供達のいじらしさに強く心を打たれたのである。
もしそれがお前に対する愛よりも遥かに強いものというなら、お前は怒るだろうか。
否、俺の心を理解してくれるだろう。
ほんとうにあのような可愛い子供達のためなら、生命も決して惜しくはない。
自我の強い俺のような男には、信仰というものが持てない。
だから、このような感動を行為の源泉として持ち続けていかねば生きていけないことも、お前は解ってくれるだろう。
俺の心にあるこの宝を持って俺は死にたい。
俺は確信する。
俺達にとって死は疑いもなく確実な身近の事実である。
宅島徳光 20年4月9日戦死 24歳
俺はお前を愛している。
しかし、俺の心の中には今ではお前よりもたいせつなものを蔵するようになった。
それは、お前のように優しい乙女の住む国のことである。
俺は、昨日、静かな黄昏の田畑の中で、まだ顔もよく見えない遠くから、俺達に頭を下げてくれた子供達のいじらしさに強く心を打たれたのである。
もしそれがお前に対する愛よりも遥かに強いものというなら、お前は怒るだろうか。
否、俺の心を理解してくれるだろう。
ほんとうにあのような可愛い子供達のためなら、生命も決して惜しくはない。
自我の強い俺のような男には、信仰というものが持てない。
だから、このような感動を行為の源泉として持ち続けていかねば生きていけないことも、お前は解ってくれるだろう。
俺の心にあるこの宝を持って俺は死にたい。
俺は確信する。
俺達にとって死は疑いもなく確実な身近の事実である。
宅島徳光 20年4月9日戦死 24歳
コメント一覧
http://ja.wikipedia.org/wiki/宅島徳光
宅島 徳光(たくじま のりみつ)は、大日本帝国海軍の軍人、作詞家。
海軍中尉。松島航空隊機長。
1943年9月に海軍航空隊へ志願し、第13期海軍飛行科予備学生として三重海軍航空隊に入隊。
1944年5月に海軍少尉に任官。
沖縄特攻作戦の開始により、1945年4月9日に松島海軍航空基地を一式陸上攻撃機の陸攻機長として出撃し、
7機と共に宮城県牡鹿郡金崋山沖にて任務中遭難死した。享年24。
宅島の手記は、戦没学生の代表的な文章として非常によく知られ、
文芸誌などでも何度か取り上げられている。
大多数の男たちは国に残った女・子供たちを守るために、
その貴い命を散華なさったのですよ。
ご覧の有り様だよ
敢えて乗ってやるが、ウヨクな君はその尊い命を
散らすようなはめになったことの責任をどう考えているの?
ハルノートでしょうがない自衛戦争だったとかコピペ脳
丸出しのお返事はやめてね。
それちょっと話題のすり替えだと思う
本人の覚悟と、何故そうする事になったのかは別の話でしょうが
て言うかこういう話でウヨクサヨク持ち出す人本当に嫌い
キモいこと言ってないで死ねよ。カス!