453 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2014/01/12(日) 03:15:16.43 0
1783年にアリューシャンに漂流した大黒屋光太夫とその一行は1789年にイルクーツクに到着したのだが、光太夫達の帰国願はロシア当局に握りつぶされ、彼らは当地に留め置かれていた。光太夫は
女帝エカチェリーナ2世に直接謁見して帰国を願い出るため、帝都サンクト・ペテルブルクへ向かった。
女帝に謁見後のある日、光太夫が皇太子に呼ばれて宮殿に参上したときのこと。
帰りの馬車を手配したがなかなか来なかったので皇太子自らの馬車を光太夫に使用させた。
光太夫は固辞したものの、皇太子が是非にと強く勧められたので乗って帰った。
皇太子が行幸に出ると勘違いした皇太子の妻子や宮中の人は、光太夫が乗っているのを見て
仰天して肝をつぶし、口々に理由を尋ねた。
光太夫に同行して一緒に帝都に来ていたラックスマンはこれを聞いて、「いくら外国の人だからって
こんなことはしちゃだめだ」といましめてから大笑いした。
異国とはいえ、庶民の身でありながら皇族の馬車に乗ったことで光太夫は胸がおどり、
その日は一晩中眠れなかった。
454 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2014/01/12(日) 04:04:15.72 0
またある日、光太夫はペテルブルクで知り合った人から、とある遊郭を案内された。別の日、王宮に呼ばれた帰り道に光太夫がその遊郭の前を通った際、泊まっていくように強く勧められた。
珍しい客ということで娼婦達はみな様々にもてなしてきて、誰が光太夫の相手をするかで相争った。
名高い娼婦5人の中からくじで選ぶことになったが、結局その5人全員で光太夫を囲んで一晩中語り明かした。
翌朝に帰ろうとしたとき、娼婦がどうしてもといって絹や銀、旅の必需品などを光太夫におくった。
その後も光太夫は遊郭へ行くたびに色々な贈り物を得ていたので、友人のラックスマンに
「なんとまあ光太夫は果報者だな。これからは娼婦に物をもらう生活にしろよw」と笑われた。
コメント一覧
お前、自分の数を抜いてないか?
貧乏な家庭から幼女を買い取って遊郭で働かせるときに、
あんまり小さい子を遊女にしてはいけないという法律があったから
男の名前を源氏名にして、いざという時に下働きの男児だと言い逃れができるようにした、
と聞いたことがある
小野妹子「左様」
蘇我馬子「せやな」
中大兄皇子「せやろか?」
加古里子「いや、あんたはどう見ても男やがな」