838 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 00:46:37 ID:rEqSiNFW
ある時加藤清正の下に奉公を望む、壮年、老人、若者の三人があった。そこで清正は其々に、その志を述べさせた。面接ですね。
壮年は言う
『私は立身したいのです。そのため御当家に奉公を望みます。』
老人は言う
『私は年若く盛んな頃は、数度の功名もありましたが、今は年老いて他に望みはありません。
ただ御当家において、安心して一生を送りたいのです。』
最後に若者が言う
『私は若く、どんな事にでも役に立てる自信があります。それで御当家への奉公を望むのです。』
これを聞いた清正、この三人の前で語りかける。
「先ず最初の者、
立身の心がけ故に奉公を望むのは武士の本意。かくあるべき事である。
よってこれを召抱える。
次の者、
年を取ったからもはや役に立たぬとは、随分と屈折したものだが、
数度の戦功を積んだ後、我が家を死処と心得るのであれば、若き者達への手本ともなろう。
よってこれを召抱える。
さて、最後の者、
自分から、若いから役に立つなどとは、人も居ないかのような振舞である。
そのような言葉を聞けば、我が家の若者達は必ず憤るであろう。
わしが家臣に、年老いても高禄を与えるのは、後進を奨励するためであるのに、
老人は役に立たぬ、若き身だから役に立つ、と言うのは、これまた老人を侮り
辱めているものである。その方の言葉は大いに誤っているぞ?
よくよく了見をするように。」
と、最後の者は、ついに召抱えなかったそうである。
若者、若さを前面に押し出したら面接失敗したでござる、の巻。
コメント一覧
アク禁おめ
定年間近「年金貰いたいんです」
新卒「御社に尽くします」
社長「おい、新卒。そんなん幾らでもいるわ。不採用。」
ちょっと違うと思う
次の日に来たおっぱいの大きいの女を
召抱えたそうである。
でも今は「新卒以外は殿に会うどころか城に踏み込む前に切り捨てる侍」がほぼ100%勤め先に搭載されているのが問題。
「年取っても高い給料やんよ。雇用安定させちゃるよ」っつってるのに?
第二の人生を謳歌するどころか死ぬまで働かなきゃなんないかもな
加藤家には既に若者はいるのに、そこに更に採用されることを目指しているんだから、若さを前面に出したら、清正が言うように「あんたの所の若いのは役に立たない」って言ってるのと同じ。
同じ育てるんでも、子供の頃から関わっている家中の若者が優先されるのは当然。そこに敢えての採用を目指すのなら、もっと別のアピールが必要だったな。
若者が清正の雇い先の若者を無能扱いしたとか、
どこにも書いてないじゃん。
個人の経験や強い意志は評価するけど、
若さだけでは人を評価できないって言ってるだけ。
わざわざ現代社会に置き換えて解釈する話でもない。
老人 腹上死したいんじゃあああ
若者 スタミナあふれてます、何回戦でもおk
こうですか。
清正はそんなつもりで言った訳じゃないだろうし、そもそも知る由もないが
の、コピペ以降、こういう歴史コピペの逸話がどれも嘘臭く感じるようになった俺は名古屋市民だ。
逸話の出典も明記されていないし、大半は書いた奴の作り話や脚色だろうと思う。
つんぼ石は今も実物あるやん
生まれも育ちも名古屋だが【初耳】。
何が「名古屋の子供が一度は聞かされる話」だよ。
つんぼ石は実在するにせよ、「名古屋の子供が一度は聞かされる」は間違いなく脚色だ。
※欄見たら「初耳だ」って名古屋人が何人もいたし、「よく知ってる」「有名な話だ」ってコメントは俺が見る限り無かった。
てなわけで、全部が全部じゃないだろうが、脚色や創作は混ざっているんだろうなと思うようになった。
それ名古屋でかなり知られている昔話だったのが
今では名古屋人が伝えなくなったって悲しい話なんじゃね?
あるいは投稿者が盛ったか
でもつんぼ石と言われる石と逸話は確かにあるんだから
あんたみたいに書いた奴の脚色や創作、嘘と認定するのは無理があるだろう
どんなコピペでもそうだが本当のところっていうのは実はどうでもいい部分だし
少なとも街道沿いには知られていた可能性が高い
自動車社会になって道しるべとしての機能が薄れたのと
「つんぼ」が差別用語だってんで語り継がれ辛くなってるんじゃ?