756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 10:36:33 ID:QURfXZdj
三河武士の手習い大河内善兵衛という三河武士がいた。「五千石男」村越三十郎などと並び称される
不器用・無教養な男だったが、家康が
「『六十の手習い』と申すからには、六十歳まで勉強はできるはずだ。」
と言うのを聞いて一念発起し、いろは四十七文字を覚え、近ごろは数字・国名などを
習うようになった。
習ったからには使いたくなるのが人の性で、ある日、江戸城の詰所に来た善兵衛、
「おのおの方、文字というものをご存知か?」と自慢し出した。
「ほう、一つ教えていただこうか。」無教養の者は純粋な興味から、教養ある者は
ニヤニヤしながら集まったところで善兵衛は話を続けた。
「さて、近ごろ拙者が習いおる所では、数字というのは、『一』が万物のはじめ、
左から筆を入れ、右に引き、油断無く止める・・・」と学者の受売りそのままに語りだした
・・・のは良いが、『七』まで来て、二画目を左右どちらに曲げるか忘れてしまった。
「善兵衛、どっちに曲げるんだ?」「うむ、どっちが良い?」「聞かれても困るわ!」
「分かった、左じゃ!!」と言い切り善兵衛、左に書いたものだから、教養ある者は
もうこらえ切れずドッと笑った。
これを耳にした家康は苦笑しながら、
「善兵衛は日頃の気性の如く『忘れた』と申さず、左へ曲げたは武士の意地あっぱれ。
今日よりそれを賞し、左七の字の指物を許す。」と言ってこれを褒めた。
笑い話を美談に変えた家康はさすがと言えようが、善兵衛の親類である金兵衛には、
それだけでは済まない。
「大河内家の良い恥さらしじゃ!わが子はこんな事の無いようにせねば・・・」
そう言って一子・長四郎を、一家総出で厳しく育てた結果、長四郎は長沢松平家に
養子に請われるほどになり、のちに老中にまで出世した。
『知恵伊豆』松平伊豆守信綱が、これである。
コメント一覧
そうでもなかったみたいよ
よかったー60になるまでまだだいぶあるよ
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すがすがしい。
知恵者と呼ばれた人でも読み書きできなかったりが結構あったんだよ。
秀吉も出自が出自だが字はへったくそであんま書きたがらなかったそうだ。
このコピペみたいに「お前武芸だけじゃなくて勉強もしてみ」て言われて
一目置かれる文化人になった人もいた。