776 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/10(火) 17:40:08 ID:oVcwY7bC
姜沆という男がいた彼は名門の生まれで朝鮮の科挙を受かった官僚だったが慶長の役で日本軍につかまり俘虜の身となっていた
連れてこられる途中二人の子を海に投げ捨てられ何度も逃亡しようとしたが全て失敗
学識豊かと言うことで生かされていた為、
せめて帰国したときに祖国への土産に敵国の内情を詳細にした内偵書を記すことにした
子を殺されれ生粋の儒学者でもあった為その文は悪意、蔑視に満ちているがそこにこんな問答がある
生を好み、死を憎むのは人も生き物も同じくするであろうに、
日本人だけが死を楽しみとし、生を憎むのは、一体どうしてなのか
するとその兵士は
日本の将官は民衆の利権を独占し、一毛一髪も民衆に属するものはない。
だから、将官に身を寄せなければ、衣食の出どころがない。
ひとたび将官の家に身を寄せてしまえば、この体も自分の体ではない。
少しでも胆力に欠けると見なされてしまったら、どこへ行っても容れられない。
佩刀が良くなければ、人間扱いされない。
刀傷が顔の面にあれば、勇気がある者と思い禄を得る。
耳の後ろにあれば、逃げ回るだけの者と見なされ排斥される。
それだから、食に欠いて死ぬよりは、敵に立ち向かって死力を尽くすほうがましである。
力戦するのは、実は自分自身のために計ってそうするのであって、何も主(公)のために計ってするのではない。
意外に忠誠心がない兵卒の悪い話
ちなみにこの内偵書、後年の江戸の本屋で普通に売られていた
朝鮮通信使はこれを見て
内偵書なのに敵国で売られてちゃ意味が無いじゃないか!
と嘆いたとさ
コメント一覧
こういうの増えるといいね。
降倭を利用することを目的として1591年10月に降倭を勝手に殺す事を禁じる命令が出された(wikipediaより)
で、この姜沆という男が日本軍に捕まったのは1597年で、
1600年には朝鮮に帰国している。
つまり、
>生を好み、死を憎むのは人も生き物も同じくするであろうに、
>日本人だけが死を楽しみとし、生を憎むのは、一体どうしてなのか
という発言の数年前には朝鮮人も日本人捕虜を問答無用で殺していたんだよねー。
朝鮮人「何で日本軍は死にたがりみたいな戦い方すんの?」
日本兵(雑兵)「そうしないと後で首にされて餓死するから」
の時点で読む価値なし
しかも
>内偵書なのに敵国で売られてちゃ意味が無い
まあ、逆に言うと、鮮人には
戦いの終わった後の生活を考えられるほどの視野が無かった
という話でもあるんだが
上司による。めっちゃ融通利いて、死罪になりそうな部下を赦した結果
窮地に陥ったときその人が助けてくれた、とかそういったエピソードは結構ある。
鎌倉幕府とか給料未払いで愛想つかされてるし
今のイメージである忠義や堅忍を第一とする武士は、江戸時代以降に徳川が朱子学を元に広めたもの