609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/19(日) 12:29:57 ID:14eHSeUh
片桐且元と占い師
慶長十六年(1611)、徳川家康は豊臣秀頼に、二条城での会見を要求した。
淀殿は秀頼の身を案じ、軍配者(戦の吉兆を占う者)である白井龍伯にその事を占うよう命じた。
彼は香をたいて煙に現れる気を3度見たが、すべて大凶と出た。それを片桐且元に連絡したところ、
且元は
「私は占いの事は良くわからない。が、秀頼様が二条城に行かなければ、戦になること、これだけは解る。
良いか、占いの内容を吉と書き換えるのだ。」
しかし龍伯はこう反論した
「そんなことを言われて、もし秀頼様に何かあったら、書き換えさせたあなたの責任になりますよ!?」
且元は笑って答えた
「秀頼様が殺されれば、私も一緒に死ぬ。誰に罪を問うというのだ?」
こうして、占いの結果は吉と書き換えられた。淀殿は秀頼を二条城に送り出し、対面は無事、果たされた。
龍伯には豊臣家より褒美として、白銀100枚が下賜された。が、彼はこれを期に、一切の占いを止めたと言う。
コメント一覧
あのまま放っておいたら雄藩どころじゃなかった気がするからなあ
下手すりゃ幕府版南北朝とかなりかねない事態だったし
いずれ取り潰すか攻め滅ぼすのは元々の規定路線だった希ガス
そんな中でも一番マシがなんなのかは今の価値観じゃ断じきれないだろうし。
この説好き
この人も秀頼のために命をかけてるんだよなぁ。当人の若さによるものもあるだろうが、
秀頼自身が命をかけられるだけの人物だったのかも知れん。