1 名無しさん@おーぷん 2014/05/30(金)11:26:14 ID:tOcWDqYpa
明治時代に、相撲が「まわし一丁で取っ組み合いなんて野蛮!」と言われて廃止されかけたことがあった
で、危機感を持った力士達は消防団として働くことで存続を訴えた
5 名無しさん@おーぷん 2014/05/30(金)11:58:22 ID:aSeab4YDl
幕末にペリーが上陸した時、電信を披露して日本人を驚かせていたが、ペリーがくる前から佐久間象山が文献のみで電信の実験をしていた
6 名無しさん@おーぷん 2014/05/30(金)11:59:40 ID:uBjVxK3z7
14代将軍徳川家茂は31本中30本の歯が虫歯だった9 名無しさん@おーぷん 2014/05/30(金)14:02:31 ID:X8zLLYY5r
野干玉能 昨夜者令還 今夜左倍 吾乎還莫 路之長手呼ぬばたまの昨夜(きそ)は還(かへ)しつ今夜(こよひ)さへ吾を還(かへ)すな道し長手を
訳 真っ暗な昨夜は逢ってもくれないで還しましたね。今夜こそは、逢わないと云って
私を追い返さないで、暗い夜の長い道を。
いつの時代も男ってせつないね とういう万葉集の歌
13 名無しさん@おーぷん 2014/05/30(金)15:45:20 ID:X8zLLYY5r
熊谷直実は世を儚んで出家したのではない所領紛争の幕府の裁判に不公平と憤慨したからである
14 名無しさん@おーぷん 2014/05/30(金)15:59:18 ID:X8zLLYY5r
仙台藩の荒井加右衛門盛従は町奉行時代「名判官」と謳われた人物であるだが彼の母は裁判を危ういものと辞職をすすめたが、都合もあり実現できなかった
ある時盛従の家で金が無くなった
居間に出入った下僕が疑われたが 下僕は認めなかった
下僕以外に犯人はいないと推定し否認の贖罪に落とそうとした時
母が金を持って現れ 裁判とはこういう危険なものだから辞職しなさいと戒めたため
盛従は恥じて辞職した
16 名無しさん@おーぷん 2014/05/30(金)16:10:02 ID:X8zLLYY5r
泉鏡花の「婦系図」には電車の中で男が娘の手を握って困らせる場面がある痴漢は戦前から 電車とセットだった
17 名無しさん@おーぷん 2014/05/30(金)16:41:37 ID:X8zLLYY5r
与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」は反戦詩ではない日露戦時中の状況を見れば 反戦詩であれば雑誌「明星」に掲載すらされなかった
26 名無しさん@おーぷん 2014/05/30(金)18:40:26 ID:X8zLLYY5r
歌川 広重の東海道五十三次の蒲原宿は豪雪地帯のように描かれているが実はほとんど雪が降らない
29 名無しさん@おーぷん 2014/05/31(土)22:00:51 ID:x3LEg0nPW
江戸時代 夏 庶民は暑い甘酒を飲んで涼んだ 33 名無しさん@おーぷん 2014/05/31(土)22:45:09 ID:qCrrUV2JU
写楽=北斎 の珍説があるしゃらくさい、あほくさい
コメント一覧
昭和天皇は立憲君主であり、当時から国民の方が権力を持っていた
言ってる意味が分からん
昭和なら国民主権なのは当然なんじゃないのか
昭和といっても戦前までは大日本帝国憲法による近代天皇制(立憲君主制)
しかし当時の日本は男子のみとは言え完全普通選挙が実施されており、国民主権とは言えないまでもかなり現在に似た政治体制ではあった(当時の内閣もほぼ一年未満での政権交代が当たり前だった)
大政翼賛会とかファシズムと言ったものが幅を利かせてくるのは日中戦争の頃からである
まぁ競技特性として瞬発力特化だから、長時間の消火活動は不向きだろうな
何かと話題に出される双葉山とか、今の眼で見るとかなりスリムだ。
九頭龍親方の言うように機動性も考慮してベスト体重をキープするのがやはり合理的なんだと思うわ
外国人っぽい顔立ちで何か笑ってしまった
逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ…