537 名前:1/2[sage] 投稿日:2010/03/10(水) 19:10:24 ID:3W7heOj6
関ヶ原の決戦が終わったが、信州上田城では真田昌幸が未だ、籠城を解いてはいなかった。このため徳川家康の命により、真田信之が降伏勧告の使者として上田に派遣された。
上田城で信之は昌幸に対し、降参するよう様々に説得したが一向に聞き入れず、かえって
「信之、お主は長く家康に仕え、さらに本多忠勝の婿でもある。であれば家康も、お主には心を許しているだろう。
ならば信之!お前が近侍した際、父の望みに従い家康を刺殺すのだ!
それは出来ないと言うのなら今ここでおまえの首を撥ねる!」
などと言い出した。しかし信之、これに少しも騒がず
「御高恩を頂いている内府公を討つと言うのなら、父ではあっても君敵であります。
その君敵とは今ここで雌雄を決するべきなのでしょうが、私は大事の使者としてここに参っており、
使者として帰り、家康公に子細を言上しない内に、わたくしに討ち果たすような真似をすれば、それも君への
不忠で有ります。
…ご報告を終えた上で、重ねて潔く勝負を決しましょう!その用意をして待たれよ!」
そう言い放って座を立った。これには昌幸も、「信之の言う事、尤もである」と言って、奥の間に引っ込んだそうだ。
さて、家康の元に戻った信之は会談の内容をありのままに家康に報告した。
家康は昌幸の武勇、信之の忠節に感じ入り
「そう言うことであればお主の手で上田を攻め、父弟の首を取ってくるが良い。
その時は信州一国を与えるであろう。」
信之は宿所に帰り、早速出陣の準備をした。
ところがそれから暫くして信之、再び家康の元に御目通りを願い出た。
「いったいどうした?出陣の引き延をしたいのか?」
「この度父への討手を仰せ付けられ、その御高情上身に余ると感じております。
…しかしながら出来れば、御恩賞の御朱印を賜った上で出陣いたしたいのです。」
「おお、その事忘れておった。」
538 名前:2/2[sage] 投稿日:2010/03/10(水) 19:11:07 ID:3W7heOj6
家康はその場で御朱印を信之に渡した。信之は畏んでこれを頂き宿舎に帰ると、
何故か又すぐに家康の元に戻った
「お訴えしたき儀が有ります!」
「度々どうしたのだ?出陣にあたり加勢が欲しいのか、それとも具足兵糧が不足しておるのか?それであれば
望みどおりに…」
「いいえ、先程も言いましたが、私が父の討手を仰せつかったこと、生前の面目、これに勝ることは
ございません。」
「ならば…」
「…ですが!我が父の一命をお助けいただけるのなら、その上の厚恩でございます!
しかれば先に賜った御朱印を、返上したします!」
そう、涙を流して訴えた。御朱印を返すとは、信州一国の報奨を放棄してでも父の助命を願う、
ということである。
家康これを聞いてたちまち機嫌を悪くし、黙然と座を立って奥に入ってしまった。
信之は一人、その場に残された。
暫くして、
信之に声がかかった。「内府公が呼んでおられる。」
御前に出ると、家康が言う
「そなたの願い、尤もである。日頃の忠節に免じ父弟の命、助けてとらす。」
信之はこれに大いに喜び、すぐに上田へと馳せ行きて助命のことを報じ、これによって昌幸、信繁親子も
城を出ることに同意した、とのことである。
真田信之、父弟の助命を得る、の一席。
コメント一覧
口約束はいくらでも反古にできるが、朱印は実印契約書みたいなものだ。
敢えてそれを頂いた上で返上するというのは、一つには家康との相互信頼の確認であり、また、「朱印を蹴ってでも助けたい」という具体的な覚悟の証明でもある。
また、昌幸に対しては「家康公の恩情よりも父上が大事でござる」と示すことにもなる。
これを家康が許容するかどうかが、一世一代の大博打でもあったわけだ。
でもこういう手順を踏まないとうまくいかないんだな
これが信長だったりしたら…
家康が、うまく騙されてるような気がしてならない。
口約束をいくつも反故にしていた家康の姿を見ていたからじゃないのかと
子供の頃は人質生活
大人になっても一向一揆で自分に刃を向けた譜代の家臣を
相手が素直に謝れば帰参を許し、武田家滅亡後はその旧臣
たちを召し抱えましたが、何か?
そりゃ寿命も縮むよなあ。(棒)
死ぬ直前まで引退させてもらえず息子より長生きしちゃったと言う…