311 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/09(金) 15:00:06 ID:WN0eMudG
関ヶ原の頃の事。北陸においては、金沢の前田利長と小松の丹羽長重が戦っていたが、大呂と言う地で
大規模な衝突が起こった。
これは結局引き分けとなったのだが、この時、浅井縄手と言う場所での戦闘において、
前田方の松平久兵衛の部隊の槍働きが見事だったと言う事で、久兵衛には利長から
直々に感状が与えられた。
さて、これを聞いて黙っていられないのが、この久兵衛と浅井縄手で戦った、丹羽方の将、
安孫子清右衛門と成田助九郎である
「浅井縄手では松平久兵衛の部隊と我々とは、互角に戦った。なのに向こうでは感状が与えられて
我々には感状が無いとはどういうことだ!
ここは長重様にも感状を出してもらおう!」
こんな事を言い出した。ところがこれを聞いた丹羽長重は、安孫子、成田の両名に
「浅井縄手は道も狭く非常に足場の悪い場所である。
よって、我等にとってもそうだが、当然前田方にとっても、非常に働き辛い地形であった。
確かにあそこの戦闘は、勝敗のはっきりしないまま終わった。
が、一足でも敵を追い立てるのが、槍働きの誉れというものだろう?
なのにあのときの戦闘では、橋の向こう側で先ず衝突したのに、終わったときには
橋のこちら側だったそうじゃないか。
たかが橋一つの距離だ、退いたのはほんのわずかだと言える。
が、これは果たして互角の勝負か?条件は同じだったのだぞ。
それにお前達!敵が引いていくとそれを追いかけて、勝手に持ち場を離れただろ!
その咎もあるぞ?
安孫子、成田、お前達両名の働きは確かに人を超えていた。だが、これでは
感状を出す事は出来んよ。」
これには安孫子と成田、ひとことも言い返せず、要求はどこへやらす、ごすごと引き下がったとの
事である。
他所の褒章の話を聞いてついつい欲を出し、とんだ薮蛇を出してしまった、と言うお話。
コメント一覧
たかが橋一つとか言ってる場合じゃねえ
名前とわかっちゃいるが北陸を感じない響きやね
そこで「合戦があった頃」じゃ無いんだな。
つまりそれぞれの心の中にあるのさ。
どこへやら、すごすごと
どどすこすこすこと
ついにネタが枯渇したか?