378 :名無しさん@おーぷん :2014/07/27(日)20:59:24 ID:???
2位じゃダメというのを感じた話。俺の母校(B高)は地域の2番手高校。戦後にできた県立高校でとにかく厳しい校風だった。
授業中間違えた生徒は厳しく叱責されるし、部活は顧問による体罰が当たり前。
しかし進学実績は地元国立や早慶を志望するも不合格というパターンが多く、
部活もよくて県ベスト8くらいだ。
そして何よりもB高の特徴と言えばトップ高(A高)に対するコンプレックスである。
教師陣もOBも保護者会もみんなA高を追い抜けばかり。
A高は戦前からある名門で毎年東大合格者を出し、部活も県の上位ばかりである。
そして地元ではエリート扱いがすごい。
大学進学後にバイトしていた塾でA高出身の人と友人になった。
そこで聞かされたのは宿題がほとんどない事、部活の体罰は大分前から根絶されていること、
となりの市のトップ高と切磋琢磨していることなどだった。
B高の教師陣は口癖のように「ここで辛い思いをすることが人生で一番の宝になる」
などと言っていた。
でも俺の友人を見る感じ頭は良くても失敗を極端に恐れる奴が多いと思う。
自由な校風のA高はB高と違ってあらゆる業界に著名なOBがいるのを見ると
B高で押し付けられた苦労なんて何の意味もなかったのではと思ってしまうよ。
でも社会には苦労を美化する人や強いる人がまだたくさんいるなあと感じる。
コメント一覧
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おい
2位だから自由になれないって縛りは、
なんなんだよ。けっきょくバカなだけでは
けれど、Aに入れば下位、Bに入れば上位層になるような生徒
がいたとして、Bと相性がいいかもしれない。
そもそも能力が違うからなんとも。
ある種の帰結として与えられたりする
「場」というものがある。それは制度と
深く関わっていて、
一般に、制度から逸脱することは
非常なエネルギーを要する。
的場が余計なこと言ったばかりに武がウイニングランしたのも微笑ましい
Bという場に身を置いたのがコピペの主ですね。
この人がもしAという場に身を置いていたら劇的に変わっていたと思いますか?
それとも違いますか?
きっと中学時代も他人の「宿題やってない」「勉強していない」を鵜呑みにして
結局B校に行く羽目になったんだろうな
問題はb高の教師も生徒も
苦労=罰
と解釈しているところ。
B高には主要教科が一科目できなくても副教科がよければ入学できているのがいる。つまりはそういう差。
って奴かと
大きな問題は起きないけど屈折した子が多いらしい
全体的に最初は○○中に行けなかった…人生終わった…みたいな空気で
段々「高3まで周りは男だけか…しかも頭大して良くないし…」になるとのこと
過去に所属していた学校の地域での評価に踊らされ自身の在り方を見失うなど、あまりに惰弱
重要なのはその学舎でなにと出会いなにを得たかなのだ
つまり、おっぱいなのだ
おっぱいなき青春に価値はなく、即ち人生の価値もない
ノーおっぱいノーライフ
若人よ、これを忘ることなく二度とはない人生をおちんちん!!おちんちん!!
わざわざ勉強したくて行ってるのに宿題を出されないと家庭学習しないほうがおかしいんだ。
A校の生徒が「自主的にやってる勉強」のほうが、B校の生徒が「言われてもまだやらない宿題」よりも質量ともに優れてるだけ。
とまあ、学生じゃない今だから言える。
学生のうちは「宿題がない」=「勉強がない」と考えてしまうかもな。
「したい勉強」って感覚もあまりないだろうし。
誰かに勝つのは悪いことじゃないが、強制するより目標にしたほうが良かったな。