867 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 00:52:41 ID:5DXt8oUn
吉村又右衛門物語福島正則の家臣に、吉村又右衛門という武将がいた。
福島家改易により又右衛門は妻子と伊勢の関に寓居した。
寓居中の貧窮ぶりはすさまじく「女房は丸裸に、娘は泣き伏して飢えに及ぶ(原
文より)」という有り様。
そんな中、福島家の同僚・大崎玄蕃が訪ねてきた。要件は、紀州に仕官できそう
なので又右衛門に紹介状を書いて欲しいというもの。
又右衛門は快く紹介状を書いてやり、
「玄蕃殿は路銀をお持ちかな?」と聞く。
玄蕃がないと答えると、具足櫃から金50両と銭1貫を取りだし玄蕃に与え、玄蕃は
喜んで帰った。
それを見ていた女房は「家族を飢えさせながら、他人に大金を与えるなどあり得
ない!」と激怒した。
対して又右衛門は、
「武士はそろばん勘定はしないものだ。あの金は我が武名を落とさないためのも
のじゃ。そんなことも分からないのなら武士の女房とは言えぬ。離縁申し付ける
。」と言った。
さて、又右衛門の武名を聞いた松平定綱から仕官話が来た。
又右衛門はボロの着物のまま定綱に会いに行こうとした。
定綱の使者が「せめて馬か駕に乗って下さい。」と頼んでも、
「浪人は恥ずるものではない。」と一向に聞かず徒歩で登城した。
めでたく仕官がかない又右衛門は定綱の重臣になったが、連日ボロ具足・古葛籠
を担いだ百姓が広島からやって来た。
あまりに異様な光景に定綱の家臣が驚いて又右衛門に理由を聞くと、
「彼らは皆ワシの譜代の家臣じゃ。再起の時のため広島の村々に預け百姓をさせ
ていた。彼らをいつか役立てようと浪人中も彼らに隠し扶持を与えていたのだ。
」と答えた。
そんな又右衛門が子供に残した遺言は、
“ワシは武功を持って大禄を得た。しかし、貴様には武勇武功もない。よってワ
シの所領は殿様に返上せよ。
もし貴様に新たな所領が与えられたなら、小禄でも文句を言ってはならんぞ”
(名将言行録)
コメント一覧
他人にもそれを押し付けてるようで嫌
己の意地も示せぬ武士に価値があるのか
他人…?
ちゃんと読んだ?
まぁ武士とはかくも難儀な
夫婦はともかく子を飢えさせたくはない。
文字通りではないにせよ「武士はそろばん勘定はしない」とは
いえんわなあ
身内ではあるが、本人ではない、ってことだろう
当時としては美徳なんだろうが、いまのかちかん
今の価値観からするとやり過ぎというか
武士道突き詰め過ぎて過ぎたるは及ばざるがごとしを地でいってるような感じ
そこはただの誇張表現だろう
つか女性1人でも余裕で食っていける現代と
当時の道徳観を比べること自体ナンセンス
こんな昔に股開いたってすぐ死ぬぞ。殺されるし性病も酷いし。
子供を飢えさせながら他人に50両与えてって辺り、ガチマゾだったんだろうなぁ。
ケツの生還率高すぎね?
アナどれないってことさ。