244 :名無しさん@おーぷん : 2014/12/30(火)12:38:59 ID:2qq
夏頃の事だけど中学の息子の参観日に行ってきた。科目は美術。
息子の中学は普通の公立中学なんだけど美術、特に絵画に力を入れてて
毎年校内絵画大会が開催されたり外部講師や芸術家の方を招いたりしてるんだ。
今回の参観日にもそこそこ有名らしい方が講師として招かれてたんだけど修造感が物凄かったw
「はいみんな見て!この陰!影!
この陰!影!の角度!範囲!どう思う!?
・・・うん足りないね!足りない!
目に見える陰!影!だけじゃない!
心の目!パッションで感じよう!ね!パッション!
静かに佇むこのりんご!静かに佇みながらも熱いパッションを放ってるね!
そのパッションを全身で感じてみよう!そしてそのパッションを陰!影!にするんだ!」
生徒「先生よくわからないです…。」
「理解出来ない?違う感じるんだよ!出来ないなんて言ったら出来ない!
僕には出来る!さぁ言ってみて!僕には出来る!」
生徒「僕には出来る…。」ボソッ
「聞こえない!もっと!
生徒「僕には出来る。」
「まだだ!」
生徒「僕には出来る!」
「まだいける!」
生徒「僕には出来る!!」
「うん!集中して書きなさい!」
授業中に何度もこんなやりとりがwww
今時こんな熱い先生いるんだねwww
コメント一覧
いらない!!
を思い出した
個性が無くなるだけな気がする
基本はこんなんですよーって学ぶのはいいんじゃない?
芸術家になるような奴はどのみち学校で習う美術なんかに縛られずに
独自路線を開拓するんだろうし
それで潰されるような個性ならその程度のもんだよきっと
超有名なたとえ話だけど
型破りというんは型を習得してはじめてできるもんだ
世にいる芸術家の99%はそういうものだと思っておいたほうが勘違いしなくて済むぞ
温暖化にも貢献してるしな
型を習ってそこから独自色を出せるまでに発展したとしても、やっぱりその型に染まってるわけじゃん?
それじゃあ、その型とは全く違う新たな型が産み出せなくなるよ
そういえば、宮崎駿が「手塚治虫から私は逃れられない。」とか言ってたな
手塚なんかは全く新しい表現技法を生み出そうとして
結局源氏物語にあるじゃん!となったことがあったりする
そもそもその手塚だって元々は乱暴な言い方をすればディズニーの模倣
天才として名が残っていてもそんなもの
まあ、手塚とかを例に出さなくても「ピカソ」の一言で済む話だけど
ゴッホだってセザンヌだって基礎を習おうとしなかったわけではないし
つまり、基礎すら自力で修めれば超個性が手にはいるんだな
鳥山明くらいしか思い付かんな
鳥山が既存の型と違う新たな型といえるほど個性的かどうかはおいておくけど
基礎をないがしろにするくらい過去の作品の影響をまったく否定して
新しい型を創造した例なんかほぼないと思うが
少なくとも芸術における本流の歴史上にはないんじゃないの
ほおん
結局基礎は最低限にしとくと唯一無二なものになる可能性があるんやな
他人の作品は鑑賞しないようにしてる芸術家とかよく聞くもんな
可能性の話ならなくは無いし、そう解釈したいならもうそうすればいいけど
基礎を固めるなり模倣して積極的に他人の技術を取り入れて
超個性的になった芸術家のほうがずっと多いと思うよ、というのを
ずっと主張しているということだけわかってほしい
アスペ
※10みたいなことはほぼありえん
とだけはちゃんと書いておくことにするわ
技術だけ他人のコピーしてるうちは個性なくなるけどコピーから離れて自分の絵を模索し始めると個性的になるよ
もちろん危機感もたないと劣化コピーのままだけどね
でも完全に独自技術だけじゃ一般受けする作品にはならないので基礎技術くらいはみんな取り入れてるよ