36 名前:四天王名臣録 1/4[sage] 投稿日:2009/01/10(土) 21:28:38 ID:afOtHKON
元和8年(1622)、薩摩島津家の江戸藩邸を、直参旗本2名が訪れた。「柳生新陰流・福町七郎左衛門および寺田少助、東郷重位殿との立会いを望む!」
将軍家指南役・柳生の門人と立ち会えば、勝っても負けてもカドが立つ。
家老・伊勢貞昌が応対して断ったが、薩摩にはそんなのキニシナーイ斜め上がひとり、いた。
「遠慮はいらん、討て! あ、いや・・・打て!」
島津家久(忠恒)の命で、61歳の重位は柳生の若手二人と立会った。勝負にならなかった。
福町は胸を袈裟懸けに打たれて動けなくなり、寺田は両手首をへし折られた。
二人はその場で、重位に弟子入りの誓紙を書いた。数日後、血を吐いて福町は死んだ。
(この誓紙、今も東郷家に保管されていると言う。)
「やはり、オレの示現流は天下一だったか!」家久は喜んだが、柳生の報復を恐れた重位は
貞昌の手配でその日のうちに薩摩に逃れ、二度と江戸へ出ることはなかった。
薩摩から出れぬ身となったが、坊津の代官も兼ねる重位は地元で悠々と晩年を過ごした。
ある夜、詰め碁に集中していた重位の屋敷の近くで、野犬が集まって騒いだ。
「うるさいのう。お前、行って斬って来い。」重位は嫡男・重方に野犬退治を命じた。
戻って来た重方は、野犬を斬った刀を見せ、刃こぼれしていないのを自慢した。
重位はため息をついて、立ち上がった。
「お前はまだ、当流の意地が分かっておらぬ。見よ、これが示現流じゃ!!
チェストォォォォォ━━━━━━━━━━━━!!!」
重位はかたわらの碁盤に斬りつけた。刀はボロボロになった。
ただし、その一撃は硬い碁盤を断ち割り、畳を斬り、床下の根太まで食い込んでいた。
コメント一覧
信長の野望やってると柳生いっぱい出てくる
その誓詞っていったい誰が書いたんだろうな。