247 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/27(月) 15:44:40.14 ID:hMMpY9hx
ありふれた夫婦の話徳川家光が三代将軍となって間もないころ、江戸柳原の裏長屋に、一組の浪人夫婦が住み着いた。浪人者のこと、
日々貧しい暮らしを送っていたが、しばらくして浪人は突然「京へ行く」と言って、旅立ってしまった。
残された浪人の夫人はさらに困窮するようになり、その哀れさに近所の長屋衆は夫人を何くれとなく気遣った。
「しかし、ご主人は何で遠い京まで行かれたのかね?」
ある日、浪人の消息について聞いた長屋衆に、夫人は答えた。
「私の夫は、佐治縫殿助と言います。実は、新太郎少将様(池田光政)から夫に『千石で仕えないか』という
お話があったのですが、夫は『二千石なら奉公いたします』と答え、交渉のために京へ向かったのです。」
浪人の素性を知った長屋衆は、白けた。失笑する者もいた。
佐治縫殿と言えば、富田信高に仕えて武勇を知られた士だったが、富田家を退転した後は小早川秀秋、
小早川家改易後は後藤又兵衛の家臣となり、大坂の陣後に浪人している、いわば『縁起の悪い侍』であり、
そんな男を先々代が『西国将軍』とまで呼ばれた大大名が高禄で雇うとは思えない。
これ以降、夫人を気遣う人はめっきり減り、口さがない者は夫人を『千石婆』と呼び、陰口を叩いた。
それからまたしばらく経ったある日。柳原の裏長屋に、金覆輪の鞍を置いた駿馬にまたがった立派な武士が
十人ほどの従者を連れ、やって来た。武士は勝手知ったる様子で長屋の片隅へ向かい、戸を開けた。
「すまぬ。遅くなった。」「お前様・・・・・・」
「佐治縫殿にござる。留守中、妻が世話になり申した。」空いた口のふさがらぬ長屋衆をよそに、
隣近所に丁重な礼を述べ、礼物まで贈った縫殿は、夫人を馬に乗せ西国へと去って行った。(常山紀談より)
コメント一覧
佐治縫殿 とあり、最後に 縫殿 とある
なので苗字は佐治だろう
しかし名前の 縫殿助 と 縫殿 の違いはなんだろう
俺も良く分からんかったからググってみたら
佐治 縫殿助(さじ ぬいのすけ)だそうだ
ちなみに縫殿助は通称で、本名は佐治為勝というらしい
別に佐治が二千石で雇われても
カタルシスのある話でもないしまして教訓があるわけでもなし
日向美ビタースイーツ♪
この話は大衆(長屋衆=江戸市民ひいては東京都民)の愚かさ、物見高さ、手のひらを返すさま等を教えてくれます
。 。
/ / ポーン!
( Д )