714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/09(月) 12:25:27 ID:o/t+YDRn
ねじ首太郎左衛門清水康英の子太郎左衛門は、谷から牛と俵を引き上げたという母のDNAを受け継いだ
怪力の持ち主であった。
その怪力ぶりをぜひこの目で見たいという北条氏直の御前で、鹿の角2本を片手で引き
裂いたとある。
彼の馬は1日1斗の大豆を食らうという甲斐黒という馬で厩の出し入れにも中間7人がかり
でないと引きだせないというとんでもない馬であった。
ところが、太郎左衛門が甲斐黒に騎乗してお股をキュッっとすると、甲斐黒はたちまち血
反吐を吐いて死んでしまったという。
そこで、太郎左衛門は次に岩手つき毛という馬に乗り換えた。この馬は太郎左衛門の騎乗にも
耐え21時間乗り回しても汗ひとつかかなかったという、こらまたとんでもない強馬であった。
太郎左衛門いわく、「蛇であっても手綱をつければ乗りこなすことができるわい!」
太郎左衛門の武器は「六角の樫棒」で、佐竹義重との合戦において棒をぶんぶん振りまわして敵
を5人・10人単位で粉砕したのはご存じの通り。
三方が原の合戦では、太郎左衛門は武田軍の援軍として参加し、ある紅の鎧の武者にロックオンした。
敵は太郎左衛門と目を合わすことすらおそれ、「太郎左衛門参上!」の一言で敵は我がちに逃げ出した
とある。
「待てコラ。逃がすものか!!」という太郎左衛門の大音声に紅武者の郎党は主人を捨てて逃げ出した。
紅武者に追い付いた太郎左衛門は、兜のしころをむんずとつかみ、鞍の前輪に首を押し付けてねじ切った。
「ねじ首太郎左衛門」の異名は敵味方中に轟いたという。
国府台合戦では老骨をひっさげて、親子ほど年の離れた太田康資と壮絶な一騎討ちを繰り広げた。
そのすさまじさは、「敵味方ともしばらく戦うのをやめて一騎討ちに見入った」とある。
そして、怪力で知られた康資を打ち負かし、彼の武名はますます轟いたのである。
一方、太郎左衛門の嫡男・又太郎も武勇に優れた武将であったが、国府台合戦にて敵将の首に手をかけ
たところを敵の郎党に返り討ちにあい戦死した。
敵の喉輪を外すのに手間取って隙を見せたためといわれる。
その敵将の名は、太田資正という。
清水親子は国府台合戦にて太田一族と戦い、父は武勇で勝ち、息子は知略に負けたのである。
(北条五代記・関八州古戦録)
コメント一覧
どこ掴んでどうやるんだ?
親指と人差し指の間に角を挟む
同じように薬指と小指で角の反対側を挟む
思いっきり広げる
アイエエエエ!みたいな
ちょっと待って
こっちの方が凄いよ
つまり野球の谷がオリックスを去りタワラと離婚…?