山上憶良が万葉集でこんな歌を詠んでいる。
白銀(しろがね)も黄金(ごがね)も玉もなにせむに優れる宝子にしかめやも
解説はいるまい。子供に勝る宝はないと歌っている。
今から約1300年前、当時の子供の数は現在よりはるかに少なかったようだが、人間関係はむしろしっかりしていたようだ。
今では連日のように子供が親に殺害されたり、虐待されたりする事件が起きている。
近所同士が殺し合う事件も珍しくない。この歌が詠まれた頃は、電気も水道もない。
今思えば想像を超えた貧しい時代であったが、家族の絆ははるかに強かったのではなかろうか。
過日、テレビを見ていると、女子高校生の4割が1日に6時間以上スマートフォンや携帯に時間をさいていると報道していた。
多くの高校生や中学生が、平均数時間ネットを使っているという。
コミュニケーションは十分とれているように見えるが、それは仮想空間の世界で、
現実は顔と顔が向き合った真の心の交流はないようだ。
『ケータイを持ったサル「人間らしさ」の崩壊』(中公新書)を読んでいただきたい。
今の青少年は携帯を持ったサルになっているのではなかろうか。
大人も同じだ。東京に行ったおり、地下鉄に乗ると全員と言ってもよいほど、
皆がケータイかスマホか知らないが、一心不乱になって親指を動かしておられた。
本を読んでいる人や会話をしている人はなく、「へー、何とまあ…」と思わず独り言を言ったことがあった。
そうした体験をした数日後、偶然CS放送で映画「緑の小筺(こばこ)」を見た。概要は次の通りである。
《ある日、妻のもとへ、夫が乗っている捕鯨船が難破したとの連絡が入る。思い悩んだ妻は床に伏してしまう。
一人息子が「“お父さん早く帰ってきて”と書いた手紙をお父さんが作った木箱に入れて、
家のそばの小川に流すと、お父さんに届くかもしれないね」と母に相談する。
雪の日の朝、願いを込めた手紙を、父が作った木箱に入れて小川に流す。木箱は川がいてついて止まったり、
猿や野ウサギにけ飛ばされたりする。春になって氷が解けると、また流れ出す。
魚を釣っている少年に触られたりしながらダムを越えて、ようやく海に出る。最後は鯨に飲み込まれて胃袋の中に収る。
その木箱が偶然、捕鯨船上で鯨の胃袋を解体していた父の目にとまり、自分が作った木箱だと気づき、
手紙を取り出して読む。父親は子供の願いに応えて故郷に帰り、久々に母子と再会する》
有り得ないような話だが、私は小学生の頃、汗の臭いのする古い木造の体育館で、
すきま風で波打つにわか作りのスクリーンに映されたセピア色のこの映画を、
小さな胸をときめかせながら見たのを鮮明に覚えている。もう70年近く昔の話だ。
私が小学生の頃には、こんな歌がはやった。
♪とんとんとんからりと隣組 格子をあければ顔なじみ 廻して頂戴回覧板 知らせられたり 知らせたり…
これが昔のコミュニティーの姿であった。近所同士の殺人事件などなかった。
今ではエベレストの頂上であろうと、地球の裏側であろうが、瞬時に携帯電話で話し合える時代になっている。
しかし、その中に人間臭さや井戸端会議がみられない時代になったような気がする。
白銀(しろがね)も黄金(ごがね)も玉もなにせむに優れる宝子にしかめやも
解説はいるまい。子供に勝る宝はないと歌っている。
今から約1300年前、当時の子供の数は現在よりはるかに少なかったようだが、人間関係はむしろしっかりしていたようだ。
今では連日のように子供が親に殺害されたり、虐待されたりする事件が起きている。
近所同士が殺し合う事件も珍しくない。この歌が詠まれた頃は、電気も水道もない。
今思えば想像を超えた貧しい時代であったが、家族の絆ははるかに強かったのではなかろうか。
過日、テレビを見ていると、女子高校生の4割が1日に6時間以上スマートフォンや携帯に時間をさいていると報道していた。
多くの高校生や中学生が、平均数時間ネットを使っているという。
コミュニケーションは十分とれているように見えるが、それは仮想空間の世界で、
現実は顔と顔が向き合った真の心の交流はないようだ。
『ケータイを持ったサル「人間らしさ」の崩壊』(中公新書)を読んでいただきたい。
今の青少年は携帯を持ったサルになっているのではなかろうか。
大人も同じだ。東京に行ったおり、地下鉄に乗ると全員と言ってもよいほど、
皆がケータイかスマホか知らないが、一心不乱になって親指を動かしておられた。
本を読んでいる人や会話をしている人はなく、「へー、何とまあ…」と思わず独り言を言ったことがあった。
そうした体験をした数日後、偶然CS放送で映画「緑の小筺(こばこ)」を見た。概要は次の通りである。
《ある日、妻のもとへ、夫が乗っている捕鯨船が難破したとの連絡が入る。思い悩んだ妻は床に伏してしまう。
一人息子が「“お父さん早く帰ってきて”と書いた手紙をお父さんが作った木箱に入れて、
家のそばの小川に流すと、お父さんに届くかもしれないね」と母に相談する。
雪の日の朝、願いを込めた手紙を、父が作った木箱に入れて小川に流す。木箱は川がいてついて止まったり、
猿や野ウサギにけ飛ばされたりする。春になって氷が解けると、また流れ出す。
魚を釣っている少年に触られたりしながらダムを越えて、ようやく海に出る。最後は鯨に飲み込まれて胃袋の中に収る。
その木箱が偶然、捕鯨船上で鯨の胃袋を解体していた父の目にとまり、自分が作った木箱だと気づき、
手紙を取り出して読む。父親は子供の願いに応えて故郷に帰り、久々に母子と再会する》
有り得ないような話だが、私は小学生の頃、汗の臭いのする古い木造の体育館で、
すきま風で波打つにわか作りのスクリーンに映されたセピア色のこの映画を、
小さな胸をときめかせながら見たのを鮮明に覚えている。もう70年近く昔の話だ。
私が小学生の頃には、こんな歌がはやった。
♪とんとんとんからりと隣組 格子をあければ顔なじみ 廻して頂戴回覧板 知らせられたり 知らせたり…
これが昔のコミュニティーの姿であった。近所同士の殺人事件などなかった。
今ではエベレストの頂上であろうと、地球の裏側であろうが、瞬時に携帯電話で話し合える時代になっている。
しかし、その中に人間臭さや井戸端会議がみられない時代になったような気がする。
コメント一覧
統計見ると治安は昔の方がずっと悪いよ
新たに捕鯨して解体までやれるんだ…
この歌は戦時中に避難や配給の連絡、または消火活動などを隣組というグループで行うための推進の一環で作られた歌だってNHKでゆってたよ。
流行ったんじゃなくて、流行らせたんじゃないのかな。
ちなみにこの歌のメロディーをそのままにドリフの大爆笑のメインテーマが作られてるてウィキかなにかで読んだよ。
♪ド ド ドリフの大爆笑~ ってね。
昔の日本の光景をご覧ください
http://kousyou.cc/archives/4672
古代ローマの風呂技師も言っている。
「皆でこれについて語ろうぜ」的なこと?
喝破してしんぜよう」というタイプのジジイが話すことって、
間違ってはいないけど極端なんだよ。これもいい話なんだろが、
展開があり得なさ過ぎて「うわぁ、教訓になるぅ!」とか絶対に
思えない。この人、80歳は過ぎてるんだもんな。
小田原一家5人殺害事件=1949年(昭和24年)に発生した19歳少年による大量殺人事件である。
隣家の二階に住む当時19歳の工員の少年Aが侵入し就寝中の経営者一家6人をナタや包丁でめった打ちにした。(wikipediaより)
はい論破
津山事件・・・
結構色々あると思うけどなぁ
これが当時の一般的感覚だったのか、それとも、特筆すべき家庭人だったのかはわからないけれど。
平等とはふりかざすものだった
まあ今もだけどね(笑)
津山30人殺しなんて近所づきあいがなければ起きない事件だよな
小説読んでたら文句ねーのかよこの老害。
ちょっと前読みかけの小説がどうにも気になって電車の中で読んでたら隣のじーさんに感心されたけど、じじいこれBL小説なんだわ、中身知っても顔しかめないかね?