66. 匿名 2015/10/28(水) 10:46:07 [通報]
書道の先生が祖父の戦友だったことがある。
いつもはそんなに外に出たがるタイプじゃないじいちゃんが異様に書道展行きたがってたのを、
「孫の作品とかやっぱり見てみたいもんなのかな」と不思議に思いつつ行ったら、
たまたま先生が来てて、顔見合わせて2~3言交わしてふたりして涙ぐんでたのが印象的。
戦争が終わって引き上げた場所もそれぞれ違うらしい。
書道の先生の名前を教えてたわけでもないし、じいちゃんがやけに書道展に行きたがってたのも、
その日たまたま先生が来てたのも、なんとなく運命的なものを感じた。
あと60年くらいたっても苦楽をともにした人って忘れないもんなんだね。
人の顔全く覚えられない私は二人の記憶力のほうが衝撃的だった。
書道の先生が祖父の戦友だったことがある。
いつもはそんなに外に出たがるタイプじゃないじいちゃんが異様に書道展行きたがってたのを、
「孫の作品とかやっぱり見てみたいもんなのかな」と不思議に思いつつ行ったら、
たまたま先生が来てて、顔見合わせて2~3言交わしてふたりして涙ぐんでたのが印象的。
戦争が終わって引き上げた場所もそれぞれ違うらしい。
書道の先生の名前を教えてたわけでもないし、じいちゃんがやけに書道展に行きたがってたのも、
その日たまたま先生が来てたのも、なんとなく運命的なものを感じた。
あと60年くらいたっても苦楽をともにした人って忘れないもんなんだね。
人の顔全く覚えられない私は二人の記憶力のほうが衝撃的だった。
コメント一覧
とか思ったけど、このおじいさんたちの世代の人は、人々がこのように
のんきに暮らせるような国を作るために死んでいったんだよな…。
互いに骨を託す、文字通り生死を共にした間柄なんだろう
こういった人たちは自分より後世の人に自分の体験を余り話したがらないよね
それだけ苦しい記憶だったんだろう、それを共有できる相手が無事だったんだから
その胸中たるや察して余りある