1996年4月27日、東京都豊島区・JR池袋駅に近い住宅密集地に近いアパートで、 77歳の母親と41歳の息子が餓死していた。
そのアパートへ別の事件の聞き込みに来た池袋署員に、アパートの隣人が「最近おばあちゃんの姿を見かけない」と連絡、署員が不動産屋の立会いの下、室内に入ったところ、母親は普段着姿で、おなかの上に手を組んだまま台所で横たわって死んでおり、息子も和室の布団の中で死んでいた。
母子とも栄養失調で、半ミイラ化の状態であった。
死亡推定は、4月4日頃。
老夫婦と息子の一家三人がここに越してきたのは1985年4月。
近所付き合いは少なく、寝たきりの父親や息子の存在を知る人はほとんどいなかった。
このアパートに越してきて以来、稼動収入はなく、夫が病気になった後、医療費に「びっくりするように」お金が出ていったという記述がある。しかも少しも良くならなかったらしい。
その後、国民健康保険の保険料は納めていたが、自分も息子も病気であるにもかかわらず、病院には一切かかっていない。
母の日記(抜粋)
1994年1月1日
主人に、お正月のお供え、みかんと、干柿、羊かん、栗きんとん、だて巻、一口昆布、黒豆、ご飯、お煮しめ。後で又、ご飯、梅干、昆布、お茶、お水。子どもと私も主人に上げたものと同じものに、数の子、田作り、ご飯等でお正月を迎えた。お蔭様でよいお正月を迎えさせて頂きまして有難うございました。
2月23日
私は西武の鉄色に白花ガラうす地合ブラウスに、三越のアズキ色よこがら入りカーデガン、三越の黒紺厚地スラックス、茶ななめガラ冬コート。先に第一勧銀に行って、年金の記入。太子堂1,143円(串団子、ピーナッツあられ、雛あられ、吹雪、茶饅頭)。西武3,090円(おきなこんぶ、えんどう豆、バナナ)。ショッピング。
8月1日
わずかなお金で、毎日はらはらした生活で、少しでも長くこの家におらなければ、外に家を借りるお金もないし、貸してもくれないだろう。
8月5日(35.9℃)
昨日は特別きびしい暑さで子どもは一晩中寝ないで何回も何回も窓を開けても風は全然入ってこなくて苦しい晩だった。・・・7月から1ヶ月以上だから、その苦しさはたまらない。
1995年3月29日
朝、年金係の人からの手紙が入っていた。・・・うちがお金に困り、後暫くしかここにおれないのを読まれて、相談するようにと区役所と西福祉事務所などを教えて書いてあるが・・・良い人が世話されるとよいが、悪い人にあたったら大変と聞いているので、今は最後までガマンする。
6月26日
朝10時すぎ、不動産屋に行き、おられたので、家賃7月分納めた。・・・今月もおさめ物、支払いなど全部無事にすませて頂き有難うございました。また、来月も、何卒すべて、よろしくお願いします。
9月7日
朝、7時半頃、区役所(民生委員)より敬老金(5千円頂く)。今お金に心配している時に、5千円の大金を頂いて、大変助かります、有難うございました。
11月30日
一銭も無い様に、なくなってしまったら、後は、飲まず食はずで、どんなにしたらよいのでしょうか、役所などに、たのむようにと、教えられましたが、私共は、普通と違うだけに、一般の人、同様には、してもらえないでしょう、今後どうして生きていくのでしょうか早く、死なせて下さい。
1996年1月3日
家は暖房もないし、今年はカーペットも何もない。お湯もないので水だけだから、両手のしもやけもひどい。今までにないほどの厳しい毎日の冷え込みで、私は敷布団もないし、掛布団もないので、身体を冷やしてしまったんだろう。座布団を2枚つなぎ合わせて敷いているが、足元は何も敷くものがない・・・毎日寝ていても冷えがひどくて苦しい。・・・まさかこんなにひどい生活をするとは、夢にも思っていなかった。
1月11日
現状は、人間生活ではなく、動物以下の生活で、誰もしないような毎日。風呂には、私は10年以上ほど入らない。子どもは15年ほど入らない。身体もぜんぜん2人ともふかない。髪も10年ほど洗わない。洗濯も7〜8年ぜんぜんしない。電気も昨年からほとんど大きいのはつけないで、まめ電球だけである。ガスも昨年からお茶のお湯だけを 1回か2回わかすだけで使わない。節約されるだけしても、食事代は少ししか使われない。ご飯やめん類、おかず等を食べたいが昨年からほとんど食べられない。かるいお菓子等で、一時お腹をふくらせてはいるが、子どもも私もひもじくてガマンしているが苦しい。
1月28日
3月分からは、家賃も生活費もありません、どんなに私と子どもは、なるのでしょうか、行くところもありませんし、区役所にたのんでも、私と子どもは生活できませんでしょう。共同生活もできませんし、今後、私と子どもはどんなになるのでしょうか、不安でたまりません。私も、子どもも、病人ですし、どうしたらよいのでしょうか、何卒お助け下さい、お願いいたします。
2月2日
郵便局、先日1月31日の時の男の受付の人がおられましたので、おつり70円を上げて、おわびのあいさつをしたが、感じよく受け取って頂きましてありがとうございました。
2月5日
牛乳、ヨーグルト2個、大根サラダ、ヤクルト、アメダマ、おにぎり2個 (854円)
2月6日
ハムヤサイサンド、いなりずし3個 (346円)
2月7日
わんぱくおかし20個、ソバボーロ、ソバ、うどん、おぼろこんぶ、みかん、しょうが漬 (1,333円)
2月8日
みかん20個、ハムヤサイサンド、いなりずし (746円)
3月5日
サンカクムシパン2個、コッペパンツブアンマーガリン。今日で食べ物の買い物も全部終わりました。残金は28円でこれだけが全財産です。後、2.3日で食べ物も全部なくなります。後、子どもと私はどうなるのでしょうか。
3月8日
毎日、毎日、子どもも(何かほしい)(もう少しほしい)と言うのをガマンさせてはいるが、私自身も子どもより大分少なく食べているので、苦しさはたまらない・・・子どもがすいじゃくして死ぬのではないかと、それが心配である。子どもと私は後、どんなにして行くのだろうか、いくら考えても、分からない。区役所等にたのんでも、私共は、まともには、世話してもらえないし、どんな所にやられて、共同生活をしなければ、出来ないかを考えると、子どもも私も病気で苦しんでも、だれも、わかってもらえそうにないので、今日の自由のきく生活のままで、2人とも、死なせて頂きたい。
3月10日
今日までで、私共の食事は、終わりと思っていたところ、子どもが明日からお茶だけでは苦しいからとて、毎日うすいせんべいを3枚食べているのに、1枚明日に残すと言って食べないで残したが、私は毎日1枚のせんべいだけを、朝と後からと2回に分けて食べているので、明日に残す物がない。何時も、頭から食べ物のことが、はなれなくて困る。
3月11日
とうとう今朝までで食事が終わった。明日から何1つ口にするものがない。少しだけ、お茶の残りがあるが、毎日、のみつづけられるであろうか。・・・子どもも私も、身体がきつく苦しい、私はその上、(頭痛)(熱)で苦しいのを我慢しているが、第一起きることができるだろうか。・・・私は、今朝、夢の中で(歯が全部ぬけた夢)を見ているが、これは身内に、死人がある知らせと聞いているので、子どもが先に死ぬのではないかと、心配である。一緒に、死なせて頂きたい、後に残った者が、不幸だから。
そのアパートへ別の事件の聞き込みに来た池袋署員に、アパートの隣人が「最近おばあちゃんの姿を見かけない」と連絡、署員が不動産屋の立会いの下、室内に入ったところ、母親は普段着姿で、おなかの上に手を組んだまま台所で横たわって死んでおり、息子も和室の布団の中で死んでいた。
母子とも栄養失調で、半ミイラ化の状態であった。
死亡推定は、4月4日頃。
老夫婦と息子の一家三人がここに越してきたのは1985年4月。
近所付き合いは少なく、寝たきりの父親や息子の存在を知る人はほとんどいなかった。
このアパートに越してきて以来、稼動収入はなく、夫が病気になった後、医療費に「びっくりするように」お金が出ていったという記述がある。しかも少しも良くならなかったらしい。
その後、国民健康保険の保険料は納めていたが、自分も息子も病気であるにもかかわらず、病院には一切かかっていない。
母の日記(抜粋)
1994年1月1日
主人に、お正月のお供え、みかんと、干柿、羊かん、栗きんとん、だて巻、一口昆布、黒豆、ご飯、お煮しめ。後で又、ご飯、梅干、昆布、お茶、お水。子どもと私も主人に上げたものと同じものに、数の子、田作り、ご飯等でお正月を迎えた。お蔭様でよいお正月を迎えさせて頂きまして有難うございました。
2月23日
私は西武の鉄色に白花ガラうす地合ブラウスに、三越のアズキ色よこがら入りカーデガン、三越の黒紺厚地スラックス、茶ななめガラ冬コート。先に第一勧銀に行って、年金の記入。太子堂1,143円(串団子、ピーナッツあられ、雛あられ、吹雪、茶饅頭)。西武3,090円(おきなこんぶ、えんどう豆、バナナ)。ショッピング。
8月1日
わずかなお金で、毎日はらはらした生活で、少しでも長くこの家におらなければ、外に家を借りるお金もないし、貸してもくれないだろう。
8月5日(35.9℃)
昨日は特別きびしい暑さで子どもは一晩中寝ないで何回も何回も窓を開けても風は全然入ってこなくて苦しい晩だった。・・・7月から1ヶ月以上だから、その苦しさはたまらない。
1995年3月29日
朝、年金係の人からの手紙が入っていた。・・・うちがお金に困り、後暫くしかここにおれないのを読まれて、相談するようにと区役所と西福祉事務所などを教えて書いてあるが・・・良い人が世話されるとよいが、悪い人にあたったら大変と聞いているので、今は最後までガマンする。
6月26日
朝10時すぎ、不動産屋に行き、おられたので、家賃7月分納めた。・・・今月もおさめ物、支払いなど全部無事にすませて頂き有難うございました。また、来月も、何卒すべて、よろしくお願いします。
9月7日
朝、7時半頃、区役所(民生委員)より敬老金(5千円頂く)。今お金に心配している時に、5千円の大金を頂いて、大変助かります、有難うございました。
11月30日
一銭も無い様に、なくなってしまったら、後は、飲まず食はずで、どんなにしたらよいのでしょうか、役所などに、たのむようにと、教えられましたが、私共は、普通と違うだけに、一般の人、同様には、してもらえないでしょう、今後どうして生きていくのでしょうか早く、死なせて下さい。
1996年1月3日
家は暖房もないし、今年はカーペットも何もない。お湯もないので水だけだから、両手のしもやけもひどい。今までにないほどの厳しい毎日の冷え込みで、私は敷布団もないし、掛布団もないので、身体を冷やしてしまったんだろう。座布団を2枚つなぎ合わせて敷いているが、足元は何も敷くものがない・・・毎日寝ていても冷えがひどくて苦しい。・・・まさかこんなにひどい生活をするとは、夢にも思っていなかった。
1月11日
現状は、人間生活ではなく、動物以下の生活で、誰もしないような毎日。風呂には、私は10年以上ほど入らない。子どもは15年ほど入らない。身体もぜんぜん2人ともふかない。髪も10年ほど洗わない。洗濯も7〜8年ぜんぜんしない。電気も昨年からほとんど大きいのはつけないで、まめ電球だけである。ガスも昨年からお茶のお湯だけを 1回か2回わかすだけで使わない。節約されるだけしても、食事代は少ししか使われない。ご飯やめん類、おかず等を食べたいが昨年からほとんど食べられない。かるいお菓子等で、一時お腹をふくらせてはいるが、子どもも私もひもじくてガマンしているが苦しい。
1月28日
3月分からは、家賃も生活費もありません、どんなに私と子どもは、なるのでしょうか、行くところもありませんし、区役所にたのんでも、私と子どもは生活できませんでしょう。共同生活もできませんし、今後、私と子どもはどんなになるのでしょうか、不安でたまりません。私も、子どもも、病人ですし、どうしたらよいのでしょうか、何卒お助け下さい、お願いいたします。
2月2日
郵便局、先日1月31日の時の男の受付の人がおられましたので、おつり70円を上げて、おわびのあいさつをしたが、感じよく受け取って頂きましてありがとうございました。
2月5日
牛乳、ヨーグルト2個、大根サラダ、ヤクルト、アメダマ、おにぎり2個 (854円)
2月6日
ハムヤサイサンド、いなりずし3個 (346円)
2月7日
わんぱくおかし20個、ソバボーロ、ソバ、うどん、おぼろこんぶ、みかん、しょうが漬 (1,333円)
2月8日
みかん20個、ハムヤサイサンド、いなりずし (746円)
3月5日
サンカクムシパン2個、コッペパンツブアンマーガリン。今日で食べ物の買い物も全部終わりました。残金は28円でこれだけが全財産です。後、2.3日で食べ物も全部なくなります。後、子どもと私はどうなるのでしょうか。
3月8日
毎日、毎日、子どもも(何かほしい)(もう少しほしい)と言うのをガマンさせてはいるが、私自身も子どもより大分少なく食べているので、苦しさはたまらない・・・子どもがすいじゃくして死ぬのではないかと、それが心配である。子どもと私は後、どんなにして行くのだろうか、いくら考えても、分からない。区役所等にたのんでも、私共は、まともには、世話してもらえないし、どんな所にやられて、共同生活をしなければ、出来ないかを考えると、子どもも私も病気で苦しんでも、だれも、わかってもらえそうにないので、今日の自由のきく生活のままで、2人とも、死なせて頂きたい。
3月10日
今日までで、私共の食事は、終わりと思っていたところ、子どもが明日からお茶だけでは苦しいからとて、毎日うすいせんべいを3枚食べているのに、1枚明日に残すと言って食べないで残したが、私は毎日1枚のせんべいだけを、朝と後からと2回に分けて食べているので、明日に残す物がない。何時も、頭から食べ物のことが、はなれなくて困る。
3月11日
とうとう今朝までで食事が終わった。明日から何1つ口にするものがない。少しだけ、お茶の残りがあるが、毎日、のみつづけられるであろうか。・・・子どもも私も、身体がきつく苦しい、私はその上、(頭痛)(熱)で苦しいのを我慢しているが、第一起きることができるだろうか。・・・私は、今朝、夢の中で(歯が全部ぬけた夢)を見ているが、これは身内に、死人がある知らせと聞いているので、子どもが先に死ぬのではないかと、心配である。一緒に、死なせて頂きたい、後に残った者が、不幸だから。
コメント一覧
相談する頭もないなら死んでも仕方ないな
しかし世話してもらえないだろうとか何故ここまで卑屈な無知なのか
厚かましい無知より多少ましではあるだろうが
上から目線マジキメェ
時代や家庭の背景の差も考えられない程度の頭で、不幸な他人を無知呼ばわりか
お前自身が「厚かましい無知」だよ
状況が、例え偶然お前の言う通りだったとしてもな
違う意味で※上の連中のように話し合いの余地が無い
昔読んだけど、自業自得の一語しか浮かばなかった
福祉を受けりゃいいのになぜか毛嫌いしてるし、僅かな金はお菓子ばかりに使うし
何度も福祉に繋がりそうな助言はあったようだけど「ひどい目にあうに違いない」と全部スルーしていた
住んでる家も家賃が10万だか12万だかしてクソ高かったはず
ただの緩慢な自殺だよ
不幸な点があるとすれば、
学もなく生活力皆無のリウマチ持ちの婆さんと、寝たきり息子の密室生活で
まともな助言のできる身内がまったくいなかったらしいことだけだな
年寄りだから、ボケもあるのかどんどん頑なになって外からの援助を頑なに拒むが、身内がいれば違ったかもな
今後ボケた独居老人はこういう死に方する人が増えるんじゃないかな
日記はここで終わっている
読んでて何度も助けて欲しいと言いながらもひどい目に合うから相談には行かないとか繰り返してて、矛盾してると思ってたら知識が無かったためなんだね
自分も正直保険料や補助とかの知識が無いから老後同じ様に分からない知らないもういいで自滅するかも…と思ってしまった
旦那さんが全部してくれてたのかな
有名人でもごろごろ転がっている気がする
どんな形であろうと生きててなんぼよ
ばーか
ナマポとか蔑むんだろ批判民は
いや、さすがにそれはない。こういう人たちこそ
受けられたらいいと思う。
あまりにも無知で愚かなことは「悪」に近いけどさ、
社会システムって意外に携わってみたら簡単、でも
近寄るのも怖いって人が多くいるのはわかる気がする。
俺もPCまだ持ってなかった頃、機械なんて触ったら
壊れるし操作間違えたらヤケドするんじゃないかって
怖かったもの。今ではそういう自分を愚かだったと
思うけど。
人を信頼しない人が、ちょっと悲しい…
と思ったけど、望むレベルの救い以外はいらない!と頑なになってたのかな…
それに、そういう状況にならないと分からないつらさもあるだろう
外に出たらどんな目で見られて、どういう態度をとられていたか…普通に対応してもらっただけで日誌に書き留めるほど感謝している点から、考えれば分かる
現代でも、女のくせに大学行くなんてって言う人もいるし